■疑念6:戦争の始まりの非論理性
戦争の始まりは、ほとんどの場合、論理的には説明できないように思います。
第一次世界大戦は、サラエボで発生したオーストリア=ハンガリー帝国の王位継承者夫妻の暗殺事件で始まったと言われます。
武力による威嚇活動をしていると、意図せざる偶発事件が起きて、それが戦争に向かってしまうおそれがあります。
南シナ海で、アメリカと中国がまったく意図せざる偶発事故を起こし、それに日本が巻き込まれる危険戦略がゼロだとは言えません。
武力を伴う衝突は、偶発から暴走へと進まないとも言えません。
軍事力を持つということはそういうことでしょう。
意図的に始められる戦争もあります。
ベトナム戦争の本格化は、トンキン湾事件ですが、これはペンタゴン白書であばかれたように、武力を持っていた米軍による意図的な偽装活動からです。
これは、軍事力が勝っていたほうが働きかけた事例です。
こうした事例は少なくありません。
軍事力は抑止効果よりも誘発効果が大きいと私が思う理由の一つです。
イラク戦争は、イラクに大量破壊兵器があるということで始まりました。
相手を恐れさせる軍事力が戦争を誘発させた事例です。
イラクの軍事力が抑止力を持つほど大きくなかったから戦争が起きたのでしょうか。
では世界最大の軍事力をもつアメリカは誰からも攻撃されないでしょうか。
9.11は、そんな幻想を破りました。
9.11は戦争ではないというかもしれませんが、当時のブッシュ大統領は「戦争」だと言い、アフガニスタンとイラクとの戦争が始まり、6000人を超えるアメリカ軍の若者が殺されました。
殺したのは誰でしょうか。
戦争は国家間で行われるとは限らなくなりました。
その意味でも、国家単位の軍事力比較は、あまり意味をもたなくなったはずです。
それに、原発装置のように、軍事力の支配権が変わってしまうことさえあります。
そのことも十分考えておかねばいけません。
大切なのは、「戦いの構造の変化」をしっかりと認識することだろうと思います。
軍事力が抑止力になるためには、合理的な判断が双方で行われる必要があります。
しかし、そもそも戦争は「非合理」なものです。
ほとんどの人は、戦争をしたいとは思っていないでしょう。
戦争をしたいと思っている人がいるとすれば、論理的に考えていない人や特殊な状況にある人と考えるべきでしょう。
そういう人は、論理的に思考しませんから、抑止理論は成り立たないはずです。
戦争が発生するのは、偶発するか、あるいは軍事力の暴発かしかないように思います。
それでも皆さんは、軍事力が抑止力を持つとお思いでしょうか。
私にはまったく理解できないことなのです。
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