■戦争と平和を考える1:戦いの構図
129人もの死者を出したパリのテロ事件は衝撃的でしたが、十分に予想できた事件ではないかと思います。
そしてこれからもまだ繰り返し起こる事件でしょう。
それもパリに限った話ではありません。
日本も例外ではなくなりつつあります。
軍事力による抑止論がいかに無意味なものであるか、これでもまだわかってもらえないと思うと、いささか気が重いですが、諦めずに繰り返したいと思います。
そこでまた「安保法制騒動考パート3」を書きたくなりました。
繰り返しになりますが、戦争の概念も構図も時代によって変わってきています。
昔は「権力者」と「権力者」の戦いでした。
一騎打ちや決闘がその典型でした。
その発展形が王様同士の戦いで、駆り出されたのは王様の軍隊と傭兵です。
そして、国家と国家の戦いになり、それも国民が戦争の当事者になってきました。
いわゆる総力戦ですが、どうしてそんなバカげたことになったのか不思議です。
国民国家とか民主主義とかいう論理が効果的に使われたのでしょう。
つい最近までは、戦争と言えば、国家対国家の話でした。
その時代のなかでは、国内的な秩序維持は警察の仕事、対外的な秩序問題は軍隊の仕事という合意が出来上がっていました。
軍隊と警察は、いずれも暴力を許された組織ですが、その役割は全く違います。
しかしそうした認識は、9.11事件で敗れました。
国家が主体ではないテロ事件が、国内治安問題から「戦争」になってしまったのです。
そこで、戦争の構図は「国家(システム)」と「人間(生活)」に変質しました。
これらに関しては、安保法制騒動考のパート1とパート2で書きました。
今回のパリのテロ事件は、それを明確に示しています。
軍事力や国家間の軍事同盟は、まったくと言っていいほど、抑止力は持たないどころか、誘発力になっているのです。
具体的に言えば、日米軍事同盟が強化されていけば、ISのテロの矛先は日本にも向かうでしょう。
その時に、どんなに従来型の軍事力を持っていても、まったくと言っていいほど役にたたないでしょう。
仮想敵国などという発想は、ばかげているとしか考えられません。
肝心の敵に対して、目を背けることでしかないからです。
戦いの構図と戦い方が、変わってきていることが重要です。
原発さえもが相手の武器になるのです。
安全保障の考え方を、パラダイムシフトしなければいけません。
パリの事件は、そのことを教えてくれているように思います。
何回こうしたことを体験しなければ、私たちの考えは変わるのでしょうか。
このシリーズをまた再開することにしました。
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