■節子への挽歌2997:食材の安全性
節子
佐々木さんが久しぶりに湯島に来ました。
佐々木夫妻の愛犬のミホが高齢になったため、今回は奥さんが介護役で、おひとりでの上京です。
最近の佐々木さんの仕事は、ミホの散歩と食事やおやつ作りのようです。
もしかしたら佐々木さんはご自分よりも心のこもった良いものをミホのためにつくっているのでしょう。
食材もとてもこだわっています。
そういう話をしていると、ついつい私は、愛犬のチビ太はもちろん、節子の食材もそんなに気にしていなかったなあと罪の意識が浮かんできます。
私は自分に対してはもちろんですが、そうしたものに関する感度が低いのです。
というよりも、そうしたことを気にする生き方に、どこか不公正さを感ずるのです。
放射性汚染がかなり高いと思われる、わが家の家庭農園の作物も、気にせずに食べています。
自然が与えてくれる食材は、気にせずに食べる。
それでもし身体が蝕まれるようであれば、それはその時代に生きたことの不幸なのだと思うことにしたのです。
お金がある人だけが安全な食材を食べることはフェアなのだろうかなどと余計なことも考えてしまうのです。
しかし、これは私の勝手な考え方であって、娘たちも含めて、そんなものを食べずに、安全な野菜を食べるようにと助言してくれる人は少なくありません。
見るに見かねて直接届けてくれる人もいます。
しかも、私のまわりでは、そうした安全で安心な食材を広げていこうとしている人も少なくありません。
それどころか、そういう活動を私自身応援したりしているのです。
そこが悩ましいのですが、私自身は自分だけが安全安心の食べ物を食べること自体に、どこか安堵できない気持ちがあるのです。
わが家は基本的にお米を農家から直接送ってもらっています。
たぶん市場価格の2~3倍の価格で購入しています。
わが家にお金がある時には4倍、ない時でも2倍以上です。
だからと言って有機米とかにはこだわってはいません。
その家の人が食べるものと同じでいいのです。
いまの米作り農家がいかにも経済的に引き合わないのが気になって、そういう契約をしているのです。
先日、私の手違いで、10㎏のお米にカビを発生させてしまいました。
農家の人に伝えたら、送り直すから処分するようにと言われました。
しかし、どうも捨てがたいのです。
そこでカビの少なそうなところを選んで、食べてしまいました。
娘から起こられて、さすがに食べるのは止めて、冬の時期の鳥の餌にしました。
しかし、自分が食べられないものを野鳥に食べさせるのもまた、罪の意識に襲われます。
まあこういうことをくよくよ考えるのが、まだ精神的に安定していない証拠ですが、食材への安全感覚が極めて弱いのです。
娘たちは賞味期限なるものを気にしますが、私は一切気にしません。
1年前に賞味期限を過ぎたものも、食べてみて大丈夫そうであれば食べてしまいます。
娘たちに見つかるといけないのでこっそりとですが、実際には娘たちは私の習性を知っていて、いまは諦めています。
むしろ、こういう親に育てられたのかと、恨まれている感じもしますが。
しかし、食べ物はむやみに捨てないという文化はしっかりと根付いています。
それにしても、安全性には無頓着すぎたかもしれません。
節子も、私ほどではありませんが、あまり気にしないタイプだったかもしれません。
それが胃がんの原因だとは限りませんが、もう少し注意すべきだったと、思うことがあります。
しかし、いまさら私だけが注意するのはフェアではありません。
佐々木さんと話した帰りの電車の中で、こんなことを考えていました。
つまらない話を書いてしまいました。
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