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2015/11/26

■戦争と平和を考える4:戦場をどうとらえるか

「テロ」が各地で起こってきています。
そこで、今回は「戦場」に関して考えてみたいと思います。
問題をクリアにするために、いささか極端に表現します。

イラク派兵の時に「戦闘地域」かどうかが話題になりました。
「非戦闘地域」などという不思議な言葉までよく使われました。
今回の集団的自衛権議論でも、「戦闘地域」は話題になりました。

国家対国家の戦争にとって、「地域」は重要な目的要素でした。
国土の取り合いが戦争になることも少なくありませんでした。
戦いも多くの場合、問題になっている「地域」で行われるのがほとんどでした。
しかし、最近の国家総力戦となると事態は変わります。
今なお、日本の国会論戦では、戦場そのものの「戦闘地域」と、補給したり休養したりする「後方地域」の区別が論じられていますが、現代の戦争では、それらを区別することなどできません。
ましてや、テロとの戦いは、戦闘地域などという概念をも無意味なものにしています。
そして、戦争の対立構造を、システムの要素としての人間と生活者としての人間と捉えると、「国家」の領域区分は全く無意味になります。
戦いの構図を平面的に捉えているととんでもないところが突如「戦場」になることもあるのです。

もっとわかりやすくいえば、戦場は自国であることもあるということです。
そして、もし自国に基地があれば、そこがいつ「敵の基地」になるかもしれないということです。
一番恐ろしいのは、原爆効果を持つ原発です。
自分たちで原爆を開発する必要はありません。
原発に飛行機を激突させればいいだけの話です。

たとえば、ビン・ラディンの武力はアメリカが提供したものでした。
武力は国家に属しているのではありません。
武力が反転するのです。
つまり現代の戦争はクーデターや犯罪がグローバル化したというべきでしょう。
かつての、国家対国家の戦争とはまったくと言っていいほど異質なものです。
にもかかわらず、相変わらず戦争の概念で発想しているところに問題を感じます。
犯罪は、限定された「戦場」で行われるようなものではないのです。
そして、その「戦場」には多くの生活者が生活しています。
そこを攻撃することの意味を考えなければいけません。
ナビラ・レフマンさんの言葉をきちんと受け止めなければいけません。

この時代に、戦争国家であるアメリカと同盟を結ぶということは、生活者としての人間への宣戦布告にもなりかねません。
核兵器を含む軍事力の増強は、何の役にも立たないだろうと私は思います。
戦場概念がなくなった時代には、軍事力よりも警察力のほうが必要だろうと私は思います。

そう考えていくと、日本の自衛隊は、新しい軍隊の先取りだったのではないかと思えてきます。
憲法9条から生まれた、戦争をしない軍隊ですから。

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