■節子への挽歌3000:3000日目
節子
この挽歌もついに3000回になりました。
つまり、節子のいない日を3000日、過ごしたということです。
よくまあ生き続けてきたものです。
作家の、秦恒平さんは、吉田兼好の「徒然草」は、愛した女性の死によって生じた悲しさを乗り越えるために書き続けた書ではないかと言っています。
兼好は、徒然なるままに書いたのではなく、書くことによって生き続けられたのだというのです。
秦さんがそう思いついたのは、兼好が残した次の歌です。
つらからば 思ひ絶えなで さをしかの えざる妻をも 強ひて恋ふらむ
「徒然草」は、「得ざる妻」への追悼から書き始められた、というのが秦さんのお考えです。
秦さんは、1984年に出版した『春は、あけぼの』の中で、こう書いています。
『徒然草』から私は、一種愛の挽歌を聴くのである。
「徒然草」も、挽歌だったのです。
兼好が出家したのも、それとつながっているのでしょうか。
徒然草は、243段から成っていますので、3000回はその10倍を超えています。
兼好は、243回で悲しさから抜け出せたのかもしれませんが、私の場合は、3000回に達してもなお、抜け出せないでいます。
まあ、兼好の場合、出家していますので、煩悩を断ち切ることができたのかもしれません。
書くことは、喪失の哀しさを埋め合わせてくれる大きな力を持っていますが、逆に悲しさを持続させる力も持っています。
悲しさを埋め合わせるのと持続させるのは、対立するわけではなく、同じものかもしれませんが、ともかく「書くこと」の意味は大きいことを、私は実感しています。
まだ書いているのか、と言われそうですが、たぶんここまで来たら、彼岸に旅立つ、その日まで書き続けるような気がします。
3000日。
いまから思えばあっという間の3000日でした。
そしてまた、あっという間に、彼岸に旅立つ日が来るのだろうなと思えるようになっています。
時間の意味が、変わってしまったのかもしれません。
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