■節子への挽歌2999:「元気そうでよかった」
節子
不覚にも風邪をひいてしまいました。
これからいろいろと予定があるのですが、いささか心配です。
明日は8時間を超える長丁場のシンポジウムがありますし、週末も2つの集まりを予定しています。
今日は自宅で休んでいればよかったのですが、ついついまた人ごみに出てしまい、症状は悪化してしまいました。
困ったものです。
昨日、サロンに参加した人が15年ぶりに風邪をひいたと言っていましたが、その風邪をもらったわけではないでしょうが、最近少し疲れ気味で、免疫力は下がっているのです。
節子に供えている活花が、1週間たつのに今日もとても元気です。
毎朝、声をかけているからかもしれません。
こちらに余裕がなくなり、声をかけずにいると、活花もすぐ枯れてしまいます。
しかし、きちんと声をかけていると元気で咲き続けてくれます。
人も同じかもしれません。
声をかけてくれる人がいたら、免疫力は維持できるかもしれません。
私が最近免疫力が落ちているのは、声をかけてくれる人がいないからかもしれません。
みなさん、声をかけてくれませんか。
しかし声もかけ方があります。
先日、夕方帰宅途中に、近所にお住いのNさんに道で声をかけられました。
「佐藤さん、元気そうでよかったです」というのです。
ちょっとひっかかる言われ方です。
元気そうでよかった、ということは、元気でないと思っていた、ということです。
Nさんはとてもいい人で、会うと必ず声をかけてくれます。
私よりも一世代若いでしょうか、ともかく元気な方です。
でも、会うたびに、「元気そうでよかったです」と言われると何か悪いような気がしてきます。
今日は元気でないので、もし会ったら、実は元気ではないのです、と言えるのですが、残念ながら会えませんでした。
こんな風に考えるのは、私の性格の悪さなのでしょうか。
そう言えば、かなり前ですが、以前住んでいたところの人に、スーパーでお会いました。
やはり、「元気そうですね」と言われましたが、その方は、すぐ奥さんを連れてまたやってきました。
奥さんが盛んに、「心配していたのですが、お元気そうでよかったです」と言うのです。
おふたりともとても親切な方で、奥さんは節子と付き合いのあった方です。
そのおふたりの口調から、私がどれほど心配されていたかが伝わってきました。
まあ、私は、伴侶の後追いをするように思われても仕方がないタイプなので、みんなが心配してくれているのでしょうが、元気でよかった、と言われるのは、正直、あんまりうれしいものではありません。
でも今週は、2人の人からそう言われました。
これは、しかし節子との死別のためではないかもしれません。
もうそう言われても仕方がない歳になったのでしょう。
素直に、喜ばないといけないのかもしれません。
しかし、いまでも「元気でよかった」といわれると、ついつい節子のことを思い出すのです。
そして、心の中では、「元気なはずないでしょう」と思うのです。
性格の悪さは、なかなか直りません。
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