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2015/11/09

■疑念9:国家と自治体の関係

国内の「構造的暴力」という「対立」は、中央政府と地方政府との関係にも見られます。
これは、「国家観」にもつながる重要な問題です。
「国家」あるいは「政府」の目的、あるいは存在意義は何なのかということです。
安保法制騒動考の第1回で書きましたが、目的が違う仕組みを「同じ言葉」で語るのは極めて危険です。
たとえば、「国家を守る」ということが意味するものが、まったく正反対になることもあるからです。

最近目に余るのは、政府による地方自治の軽視です。
私は、江戸時代の日本は、地方自治の集積によって日本全体が構成されていたと考えています。
ベクトルが反転したのは明治維新後の近代国家体制になってからです。
近代国家の枠組みに絡めとられることに関しては、当時の生活者たちはかなり抗った形跡があります。
生活者の汗と知恵と蓄積してきた「生活のための資金」も、近代的な銀行制度によって、政府に吸い上げられ、日露戦争や国家政府の基盤づくりに投入されました。
日本が近代国家としての基盤を確立できたのも、国家単位の対外戦争に取り組めたのは、そうした資金と国民意識を持つようになった生活者がいればこそ、でした。
それは当然のことで、価値を生み出すのは、生活者たちなのですから。

これも昨日紹介した古市さんの本に紹介されていた話ですが、2005年実施の世界価値観調査によると、「もし戦争が起こったら、国のために戦うか」という設問に「はい」と答える日本人の割合は15.1%。調査対象国24か国中、最低の数値だったそうです。
ちなみにスウェーデンは80.1%、中国は75.5%、アメリカは63.2%。
これでは法律をつくっても、戦争はできません。
それで安倍政権は、教育基本法を変えたわけです。

話がずれてしまいましたが、国家は人々の生活とは程遠いところにあります。
しかし、国家を支えているのは、いつの時代も生活者たちなのです。
生活に近いのは地域社会です。
「もし自分が住んでいる地域社会に誰かが攻め込んで来たら、自分の生活を守るために戦うか」という設問であれば、回答状況は変わるのではないかと私は思います。
ちなみに私は。この質問であれば、躊躇なく「戦う」と答えます。
みなさんはいかがでしょうか。

沖縄の基地問題を考えてみましょう。
沖縄の人たちは、すでに「基地」によって、生活を侵略されています。
それに対して、みんな立ち上がって、辺野古反対、普天間反対を叫んでいます。
しかし、そんな声など全く無視して、憲法に違反してまで、国家政府は暴力的な行為を重ねています。
つまり、自分が住んでいる地域社会に攻め込んできているのは、他国ではなく、自国の中央政府なのです。
これをどう考えるのか。
悩ましい問題です。

自分の生活圏である地域社会を守ることと国家政府の安全保障政策は、対立することがあるのです。
対立した時に、どちらに主軸を置くか。
もし日本が憲法に謳っているように、国民に主権があるのであれば、いうまでもなく生活圏を重視して、考えるべきです。
国を守るのは手段であって目的ではないからです。
憲法学者の小林節さんは、「アメリカ独立戦争からいけば、国民が幸福に暮らすために国があって、その国を運営するための権力機関を国民がつくり、国民の幸福を増進する。すなわち、国が国民に自由と豊かさと平和を与え続けるならいいけれども、それを奪ったら、政府も組織も取り替えていいんですよ」と佐高信さんとの対談で語っています(「安倍「壊憲」を撃つ」平凡社新書)。

中央政府のために、生活者の、そしてその生活圏である地域社会の「自由と豊かさ」が脅かされていて、それを法的に訴えても、政府は聞く耳を持とうとはしない。
そんな政府の語る「安全保障」とか「平和」というのは、一体だれのためにあるのか。
いまの政府が、国民が幸福に暮らすためにあるとは、私にはどうしても思えないのです。
会社を倒産させないために、社員を解雇するのも本末転倒だと思いますが、国家の安全のために、一地方を犠牲にする国家は、どう考えても、おかしいでしょう。
沖縄で起こっているような問題が、自らが住んでいる地域に起こったら、と思うと、改めて国家の、あるいは政府の恐ろしさを感じます。
沖縄の基地問題は、決して他人事ではありません。
地域社会で生活している人たちの声を聞かない政府は、小林さんが言うように、取り替えなければいけないのです。
それができないとしても、そうした政府が考える「安全保障」は、少なくとも「生活者の安全」とはほど遠いものであることを認識しなければいけないと思っています。

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