■節子への挽歌2983:「我を愛せよ、我を敬せよ」
節子
今日も寒いです。
急に寒くなったせいか、体調があまりよくありません。
私自身は、健康に気をつかうとか、自らを守ろうとか、そういう気持ちがあまりありません。
外から見たら、自らを愛していないと見えるかもしれません。
友人には、よくメールでも、「ご自愛ください」と書いているくせに、自分にはそういう思いが皆無です。
まあ、私にとっての「生きる意味」であった、節子がいなくなった今、生きるということにはほとんど執着はありません。
今すぐというのは、ちょっと困るかもしれませんが、さほど慌てることもないでしょう。
寒い日々を過ごすのも、結構つらいものなのです。
昨日、読んだ本のなかに、二宮尊徳の報徳運動のことが書かれていました。
その中に出てきた言葉が、「我を愛せよ、我を敬せよ」です。
尊徳の思想の中心にあった理念のようです。
以前、何かで読んだ記憶がありますが、私の心にはまったくと言っていいほど、引っかからなかった言葉です。
昨日読んだ本には、この言葉の説明に、「ここでいう我とは、明らかに自己に内在する天のことである」と書かれていました。
その言葉の意味への理解が少し深まりました。
尊徳は、仏教に否定的だったというイメージがありましたが、私の間違いだったようです。
人はつねに「自然のなかで、自然とともに」行動し努力し悟るものだとも、尊徳は考えていたそうです。
言葉になった「知識」や権威が語る「知識」には、むしろ尊徳は否定的だったようです。
私が、尊徳を好きになったのは、それを知ってからです。
真の知は自然とのかかわりの中で、生まれてくる。
そして、それは自らの中にこそある。
だから、「我を愛せよ、我を敬せよ」というわけです。
まさに、華厳経のインドラの網です。
我は我であって、我でない。
我でなくて、我である、というわけです。
もっと自らを愛し敬わなければいけません。
投げやりな生き方は、そろそろ卒業しなければいけません。
頭ではわかっているのですが、なかなかそうならないのです。
今年の冬は、もう少し自分を大切にしようと思います。
高血圧のための降圧剤もきちんと飲み、健康にも気をつけましょう。
また玄米食も復活させ、食事もきちんととるようにしましょう。
できれば健康診断にも行こうかと思います。
頭痛が少しひどくなり、胃腸は騒がしいほど音をだし、喉は相変わらずすっきりしないのが治れば、元気も出てくるかもしれません。
どこか無意識のうちに、死への誘惑があり、自らの体調がおかしくなることを肯定的に受け止める自分がいたのです。
考え直さねばいけません。
さもなくば、お天道様に顔向けができなくなる。
尊徳に出会えた本は「相互扶助の経済」です。
時評編で少しまた紹介しようと思います。
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