■疑念7:「戦時体制」を体験したことはないのですが
今日はちょっと寄り道です。
以前も書いたことがありますが、NHK「クローズアップ現代」や報道ステーションでのコメンテーターの発言に対して、安倍政権が圧力をかけたということが何回か起こっています。
そうしたことに関して、今朝の新聞では、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が「政府が個別番組の内容に介入することは許されない」などと厳しく批判したという報道がありました。
政権が報道に圧力をかけるというのは、異常なことですが、日本では「話題」にはなっても、「政治問題化」していくことにはなりにくいのが現実です。
肝心の報道陣が、見事なまでに「自主規制」してしまうからです。
これもひとつの例ですが、最近、日本が、窮屈な戦時体制のようになってきている気配を感ずることがあります。
私は実際には「戦時体制」を体験したことはありませんが、たぶんこんな雰囲気から始まったのだろうなと思います。
公民館などで憲法問題や平和の問題に関する集まりをやりにくくなっているというような話も不気味です。
しかも、その主役が公務員だと聞けば、まさにこの国にはもはや憲法はないのかと思わざるを得ません。
憲法99条には、「公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記されていますが、憲法をきちんと読んでいない公務員は少なくないでしょう。
しかし、公務員だけではありません。
たとえば、一昨日の朝日新聞にはこんな記事が載っていました。
東京・渋谷の「MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店」が、「自由と民主主義」をテーマに開催していたブックフェアを、ネット上の「偏っている」といった批判を受けて一時中止した波紋が広がっている。
もちろんこれは、政府が圧力をかけたわけではありません。
「偏っている」といった批判がネットで出回っただけのことでしょうが、それを受けて、大書店がブックフェアをやめてしまうなどということが起こるのは、これも「異常」としか言えません。
私には、社会は病んできているとしか思えません。
どう病んでいるかと言えば、成員が主体性を失い、権力に迎合して、小さな保身思考に呪縛されているということです。
主体性を失った成員から成る社会は、誰かの旗振りひとつで、いずれにも動き出します。
社会は死につつあると言いたい気分です。
これまで書いてきたことの構図で言えば、「制度」と「人間」の「戦争」はすでに勝敗が決まりつつあるのかもしれません。
生活者は「消費者」となり、「生産者」は「労働力」となり、社会から生きた人間がどんどん消えてしまっています。
ガルトゥングのいう「構造的暴力」のもとでの、非平和状況が生まれてきていると言ってもいいでしょうか。
こうしたなかで、安保法制が次々とつくられていくと思うと、恐ろしさを感じます。
自民党も民主党も、結局は現在の安保法制に賛成していると思いますので、政治の世界においては、よほどのことがない限り、もはや後戻りはしないでしょう。
だとしたら、どうするか。
やはり、危機感を持った人が、それぞれの生き方を変えることしかないのかもしれません。
最近、テレビのニュースや政治関連番組を見る気がしなくなってきています。
しかし、こうしたことがまさに戦争へと向かうことに荷担するのでしょう。
ニーメラーのメッセージをもう一度かみしめなければいけません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/02/post_1.html
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