■節子への挽歌2987:第4期への迷い
節子
今日はめずらしく企業関係の人たちとの2つのミーティングがありました。
私が会社から離脱して、社会に融合しようとして、生き方を変えてからもう27年近くが経ちます。
節子は反対するかもしれないと思って、会社を辞めようと思うと話したのに、節子はいとも簡単に、賛成してくれました。
私の記憶では、一度たりとも反対をしませんでした。
いささか拍子抜けしたほどでしたが、その結果、私の生き方も節子の生き方も大きく変わりました。
それが良かったことかどうかはわかりません。
企業の経営幹部のみなさんと話していて、時々、私もこういう世界に生きていたのだなと感慨深くなることがあります。
同時に、私ももう少し頑張って経営者になっていたら、少しは違う経営文化に挑戦できていたかもしれないと思うこともあります。
しかし、たぶん私の性格や能力では、経営者にはなれなかったでしょう。
節子は、それを知っていたのかもしれません。
湯島には企業関係者もよく来た時期があります。
その後、成功し、財界で活躍した人もいますが、あの頃はまだ企業の人たちともコミュニケーションが成り立っていたのかもしれません。
しかし、最近はどうもコミュニケーションが成り立っているかさえ危ういものを感じます。
それは、実のところ、NPO関係の人と話していても、感ずることです。
社会に融合するどころか、社会からも離脱しつつあるのかもしれません。
企業関係の活動からは、そろそろ離れようと思い出している一方で、最近の企業の状況を垣間見る機会があると、いまだからこそ企業にかかわるべきではないかという気持ちも起こってきます。
これもおそらう節子がいなくなったからでしょう。
私は四半世紀単位に生きようと思っていましたが、どうもその第4期は、自分の意思ではなく、社会から弾き飛ばされながらしがみついていくという、おかしな生き方になるかもしれません。
いささかこれは潔くないので、迷うところではあるのですが。
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