■節子への挽歌2989:不幸な最後?
節子
良いこともあれば悪いこともあった1日でした。
しかし、最後がいささか不快なメールだったので、今日は腹立たしいまま眠ることになりそうです。
大切なのは、やはり「最後」ですね。
昼間の良かったことも、すべて吹っ飛んでしまいました。
人生も、そうなのでしょう。
節子は、最後は家族みんなに見守られながら、息を引き取りました。
良い人生だったと言ってもいい。
私もそうありたいと思いますが、なかなかそうはいかないでしょう。
いろんなアンケート調査によれば、最近の若者は「幸せ」だと思っている人が多いそうです。
社会学者の大澤真幸さんは、「今は不幸だけど、将来はより幸せになれるだろう」と考えることができる時に、人は「今は不幸だ」と答えることができるといいます。
逆に言えば、人はもはや将来に希望を描けない時に「今は幸せだ」「今の生活が満足だ」と回答するというのです。
古市憲寿の「絶望の国の幸福な若者たち」という本で読んだことです。
もしこれが本当ならば、私は「今は幸せだ」「今の生活が満足だ」と回答することになります。
でも、そう答える気にはなれません。
ということは、私にはまだ「今は不幸だけど、将来はより幸せになれるだろう」という思いがどこかにあるということでしょうか。
たぶんそうではないでしょう。
若者と私の違いは、いまが「最後」かどうかなのです。
若者には将来がある。しかし、私には「将来」はない。
だから「今は不幸だ」などと言えるわけです。
どうも私の人生は、最後はあんまりよくないようです。
不幸なまま最後を迎える。
「終わり悪ければすべて悪し」の人生だったとは、いささか憂鬱です。
そうならないように、何か最後に「幸せなこと」を探さないといけません。
どこかに落ちていないでしょうか。
でもまあ、今日はとても不愉快なので眠ることにしましょう。
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