■節子への挽歌3006:ここか、あの世で
節子
ベン・アフレックの映画「ザ・タウン」を見てしまいました。
小説「強盗こそ、われらが宿命」を原作とした犯罪スリラー作品で、ベン・アフレックの2番目の監督作品です。
内容は全く知らなかったのですが、ベン・アフレックの監督作品という理由だけで見てしまいました。
やはりこんな感じだなと思うような感じの映画でした。
ただ一点だけ印象的だったセリフがあります。
そのセリフも、よく聞く言葉ですし、以前もベン・アフレックの映画に出ていたような気がします。
だからこそ印象に残ったのですが。
ベン・アフレック演ずる主役のタグの言葉です。
人は毎朝、目覚め、人生を変えたいと願いながら、でも変えない。
節子の闘病中、私も節子も、毎朝、こう思いながら目覚めました。
タグの言う意味とは違いますが、思いは同じです。
私たちの場合は、変えたくても変えられなかった。
変わらない人生だったのです。
病気が夢であったほしい、という思いはいつも付きまとっていたのです。
しかし、人生は続いていくものです。
変えることはできません。
映画では、主人公のタグは生き方を変えることができました。
しかし、そのための犠牲はあまりにも大きなものでした。
しかも、人生は続いていく。
人生を変える契機になったのは、「愛」でした。
人を愛することで、生き方を変えようと思う話は、映画にはよくある話です。
しかし、皮肉なことに、生き方を変えたにもかかわらず、その愛する人と別れなければならなくなった。
人生を白紙にはできないからです。
映画の最後に、タグの言葉が流れます。
(新しい人生の)道は遠い。 でもいつか会える。 ここか、あの世で。
いつか会えると思えればこそ、遠い道を歩き続けることができるのでしょうか。
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