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2015/12/11

■節子への挽歌3022:自動車のない1週間

節子
この1週間、わが家には自動車がありません。
まあさほどの不便はありません。
むしろ気分的にはいい感じです。

なぜ自動車がないかと言えば、先日、スーパーの駐車場の入り口で自損事故にあったのです。
スーパーが車止めを片づけていなかったのが理由ですが、まあそれを責めても仕方がないので、自分で修理することにしました。
運転していたのは私ではなく娘ですが、事故の発生は同乗していた私の責任かもしれません。
私が注意していたら、娘に警告できたはずでした。
節約のため代車を借りなかったので、しばらく自動車なしの生活です。
どういう変化が起こるか楽しみです。

もっとも私は、今は運転はしていません。
昨年、免許更新時に、実習が必要だったので免許を返却してしまいました。
実際、もう10年以上、運転はしていないのです。
私は運転の適性がかなり欠落しているようで、家族からも運転を止められているうちに完全なペーパードライバーになってしまっていたのです。

私が自動車の運転免許を取ったのは、48歳の頃でした。
わが家では私が最後に免許を取ったのです。
免許を取ったころはそれなりに運転していました。
しかし、ブレーキとアクセルを間違えて、危うく事故を起こしかけたりしました。
運転免許をとった直後、節子を乗せて、都心を突っ切って大森の病院までお見舞いに行ったことがありますが、よくまあ節子は不安も持たずに同乗したものです。
事故に合わなかったのは奇跡としか言いようがありません。
しかし、以来、節子はいつも自分で運転していました。
よほど私の運転は危なかったのでしょう。
それをいいことに、私は運転をしなくなっていきました。
そして最後に自宅の門にぶつけてしまい、それ以来、家族から運転をしないようにと言われだしたのです。
たしかに私には適性はありません。
慎重さに欠けるのです。
困ったものです。

実は私は学生のころから、自家用車には否定的でした。
一応、自称エコロジストでしたので、自動車がどんどん普及してくることに異論があったのです。
いまも基本的には同じで、一人ではよほどでないとタクシーには乗りません。
昔ある会社に講演に行って、帰りにタクシー券をもらったことがありますが、それを使わずに電車で帰宅し、タクシー券は返送しました。
それが嫌味だったようで、そこからは2度と仕事は来ませんでした。
それでそれ以来、タクシーで送ってくれる会社の好意は素直に受けるようにしました。
ところが、それに慣れると自家用車にもどんどん乗るようになり、駅に行くのでさえ、節子に送り迎えを頼むようになってしまいました。
家族からは主義に反するのではないかと言われましたが、忙しい時などは、忙しさまで口実にしていたのです。
困ったものです。
ちなみに今はそんなことはありません。
ですから、いっそこのまま自動車のない生活でもいいと私は思っていますが、娘はきっと一番困るのはお父さんだよと言っています。

さてどうなるでしょうか。
少し楽しみでもあります。

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