■戦争と平和を考える10:手におえないテーマでした
このシリーズは論考がまとまらないまま、終わることにします。
支離滅裂な空虚なものになってきてしまいましたから。
最後に1枚の写真で終わることにいます。
この写真は、1970年代の後半に私が撮影した写真です。
タイへの出張の帰路だったと思いますが、飛行機から見えたインドシナ半島、つまりベトナム国土の写真です。
もう40年ほど前のことなので、記憶が間違っているかもしれませんが、機内のアナウンスで、インドシナ半島が眼下に見えることを知り、目をやったら、そこに広大な褐色の国土が広がっていることに衝撃を受けたのです。
いわゆる「枯葉作戦」の後です。
枯葉作戦とは、ベトナム戦争中に行われたアメリカ軍による枯葉剤の空中散布です。
森林部や農村部に散布されたために、植物が絶滅し、国土が褐色の不毛の地となってしまったわけです。
写真があまり鮮明ではありませんが、茶色の部分が枯葉剤を空中散布されたため植物が枯れ果てた大地ではないかと思います。
ベトナム戦争から人類は大きなものを学んだだろうと思いました。
しかし、どうもそうではありませんでした。
戦争はその後もどんどん進化しています。
軍事力による戦争は、もしかしたら氷山の一角なのかもしれません。
目に見えるところでの派手な戦闘の影で、もっと邪悪な、生命と歴史を破壊する戦いが広がっている。
この写真を見ていると、そんなことを思い出します。
最近出版された塩野七生さんの「ギリシア人の物語Ⅰ」は、古代ギリシア人が戦争ばかりしていたということから書き出されています。
だから、「もう一つの戦いの場」であるオリンピックを始めた、と。
そのギリシアはまた、痩せた土地の褐色の大地だったために、海外へと「侵略」を重ねていくわけです。
そしてそこに文化と文明を創りだす歴史が広がりだしました。
その見事な成果だった、パルミラ遺跡もISによって爆破されてしまいました。
歴史は方向を転じたのでしょうか。
青かった地球は、褐色になっていくのでしょうか。
唯一の対抗策は、沖縄の人たちのように、非暴力での抵抗かもしれません。
沖縄の人たちは、ゴザ暴動から多くのことを学んでいるのでしょう。
私も改めて沖縄のことを学び直そうと思っています。
ギリシアから学ぶことは、もうないような気がしだしています。
最後まで支離滅裂なシリーズになってしまいました。
しかしこの間、かなりさまざまなことを考えました。
そして、戦争とか平和とかに関しては、もうあまり考えたくなくなってきました。
戦争とか平和とかいう「言葉」で語ること自体に、すでに罠があるような気がしてきたからです。
まずは他者との関係を楽しいものにしていこうと思います。
よかったら湯島に遊びにお越しください。
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