■節子への挽歌3042:手持無沙汰の大晦日
節子
今年もなんとか元気で年を越せそうです。
挽歌にも書けないような「過酷」な事件もいくつか起こった年でしたが、それも山を越えて、とりあえずは私も娘たちも元気で新年を迎えられそうです。
過酷な事件だけではなく、もちろん「うれしい事件」もありました。
人生はいろいろとあるものです。
今年は、生まれて初めてと言っていいほどのゆったりした大晦日です。
午後からは、むしろ手持無沙汰の状況で、これでいいのだろうかと思うほどでした。
娘を手伝って障子の張り替えをしたり、玄関まわりの掃除をしたりして、節子がいるころとは大違いの頑張りでしたが、まあ何とかお昼過ぎには終わりました。
それで、いつもは夜中に食べる「年越しそば」を夕食にしてしまいました。
その後、もうやることがありません。
後はホームページの更新くらいですが、これもまあほどほどにしようと思います。
例年だと、除夜の鐘が鳴りだす頃までは何やらいろいろあったような気がしますが、以前はいったい何をしていたのでしょうか。
節子がいない大晦日が、なぜこんなに手持無沙汰なのか、不思議です。
今年も無事に年を超せるのは、節子のおかげかもしれません。
この挽歌を書き続けられたのも、節子のおかげです。
まあ苦労させられたのも節子のおかげですが、苦労も幸せの一つです。
そして、この挽歌を読んでくださった皆様にも感謝しています。
時々、読者からのコメントやメールもいただきますが、それがどんなに私の支え合いになっているかははかりしれません。
心から感謝しています。
時に、私と同じく、大切な人を亡くした方からもメールをいただきます。
お会いしたこともない方なのに、何やらとても親しみを感じます。
お会いして、大切な人のことを話しあえれば、どんなに心が軽くなることか。
そんな気もします。
いつかお会いできますように。
たとえ、お会いするのが、彼岸であろうとも。
今年もありがとうございました。
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