■節子への挽歌3030:今年最後の野菜便
節子
たぶん今年最後の、敦賀からの「野菜便」が届きました。
敦賀の義姉夫婦も元気です。
今年はついに一度も会う機会がありませんでした。
節子がいたらもっと往来があるでしょうが、節子がいなくなってからは私も行くことはなくなってきました。
それに歳のせいもあって、お互いに遠出はだんだん億劫になってきます。
敦賀に行くのと彼岸に行くのと、どちらが遠いかだんだんわからなくなってくるのでしょう。
野菜便には、水仙とロウバイが入っていました。
早速、節子に供えさせてもらいました。
いまは節子の前は花でいっぱいです。
野菜便は、節子がまだ若いころは、毎年、節子のお母さんが送ってきてくれていました。
それがいつのころからか、義姉へと送り主が変わったのです。
そして、節子がいなくなった今も、それは続いているのです。
私はいまはできるだけ金銭に依存しない生き方を目指しています。
自分で実際にお金を使うことは、ほとんどありません。
節子がいるころは、何か必要なものがあれば節子が買ってきてくれました。
私がお金を使うのは、書籍代と交通費と珈琲代だけでした。
最近は珈琲は自分で淹れますし、書籍は図書館で借りています。
ですからお金は交通費くらいです。
おコメと野菜は送ってもらうので助かります。
もっともただ送ってもらっているだけではありません。
時々、お金をもらえる仕事をした時には、何かを代わりに送っています。
今月はあるところでお話をしたら、3万円ももらえましたので、干しイモなどを送りました。
あんまり引き合いませんが、実は宝くじを30枚も買ってしまったのと、久しぶりに1万円ほど本を買ってしまったのです。
困ったものです。
しかし、もし宝くじが当たれば、お世話になっている皆さんにお返しもできますし、仕事ももっとできるようになります。
まあ当たったほうがいいのかどうかは微妙なところですが。
年末の大掃除はまだ全くの手つかずです。
年を越すことにならなければいいのですが。
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