■節子への挽歌3041:平坦な年末
節子
娘が近くの産地直売のお店に、正月用の花を買い足しに行くというので、久しぶりに私も一緒に行ってみました。
節子がいたころは、いつも遠くの花屋さんまで一緒に買いに行ったのを思い出します。
節子がきちんと花を活けたのは、もしかしたら年始だけだったかもしれませんが、正月の活花にはかなり力が入っていました。
その文化は、節子がいなくなってからも娘が継いでいましたが、最近は、来客も少なく、花がかわいそうな感じもあって、年々、活花も小さくなってきました。
経済的な理由もあるのですが、今年はいっそ、手元の花で済ませようかとさえ話題になっていたほどです。
松はいつも早く良いのがなくなると言って、すでに娘が買っていますので、庭で咲いている水仙や千両万両、ロウバイなどを上手くいければにぎやかになるでしょう。
しかし、どうも娘はそれでは満足できないようで、やはり花を買いに行くことにしたのです。
それにユリだけは欠かせません。
下の娘が、今年最後だからとやってきて、みんなで仏壇の掃除をしました。
小さな仏壇なのですぐに終わるのですが、まあいろいろと話しながら、それなりに節子を思い出していました。
両親と同居していたころは、年末年始ともわが家は忙しかったのです。
年末の買い出しは、家族総出で出かけたものです。
お客様を含めて、毎年10人分の用意をしなければならなかったのです。
料理はすべて手作りでした。
元旦の料理が完成する頃には、除夜の鐘が鳴りだすことも珍しくはありませんでした。
いま思えば、大変なご馳走でしたが、両親のためもあって、まあ年1回の贅沢だったのです。
両親がいなくなってからは、そういう贅沢もなくなりました。
今と言えば、娘夫婦と4人での質素なお正月です。
節子がいたら、もっと楽しい食卓にしないといけないと頑張るのでしょうが。
以前は、「ハレとケ」のメリハリがありました。
そうしたメリハリも、私の両親の時代が最後だったかもしれません。
節子がいなくなった今は、私には「ハレ」はありませんが、私だけではなく、社会そのものから「ハレ」の輝きがなくなってきているように思います。
年々、大晦日が日常化してきていますが、今年はとりわけ、私には平坦な年末です。
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