■節子への挽歌3024:「わりと早く日本はほろびるんじゃないかという気がする」
節子
今朝、テレビで久しぶりに無着成恭さんのお話を聞きました。
最初に衝撃的な、しかし私にはきわめて納得できる発言がありました。
無着さんは、こう言ったのです。
わりと早く日本はほろびるんじゃないかという気がする。
なぜそう思うのか、それは「こころの時代」を見てもらえばわかるのですが、要は、人間がいなくなってきたということでしょうか。
私の思いと全く同じです。
「人」はいても「人間」がいない。
無着さんの考えを、勝手に解釈するのは不正確の誹りを免れませんのでやめますが、前述の言葉をはっきりと聞かされると、此岸への執着がなくなりつつある私もドキッとしてしまいます。
そして、私の居場所がなくなってきているのも、そのせいかなどと身勝手に思ってしまうのです。
無着さんは子どもたちに作文や詩を書いてもらい、それをガリ版刷りしてみんなに配る活動をされました。
その時の子どもたちの書いたものがいくつか番組で紹介されました。
短い詩ですが、いずれも心に響きます。
こんなに良い時代が日本にはあったのだと思います。
もちろん、経済的には貧しく、「良い時代」などというのは身勝手なことでしょう。
貧しさに負けて死んでいったお母さんのことを詩に書いている子供もいました。
そんな時代を「良い時代」などというべきではないでしょう。
しかし、そういう思いを捨てられません。
節子と結婚したころは、私たちもとても貧しかったです。
両方とも親の反対を押し切っての結婚でしたから、弱音を吐かずに自分たちですべてやってきました。
最初はほとんど6畳一間の生活から始まりました。
しかし、いまにして思えば、その頃が一番「良い時代」だったかもしれません。
エアコンもない借間で、冬は凍えそうになって身を寄せ合っていました。
2年目は2LDKの社宅に移り、いまにして思えば、生活も次第にバブリーになっていきました。
それがある段階に達した時に、私はその生き方をやめました。
会社を辞めて収入は激減、ふたたび経済的には貧しい暮らしに戻りました。
それに比例して、生活は豊かになっていったように思います。
しかし、ようやくそうした「豊かな暮らし」の基盤ができた時に、節子は逝ってしまったのです。
「良い暮らし」とは何でしょうか。
私には、節子がいるだけで十分ですが、いないいまとなっては、いかなる暮らしも「良い」とは言えません。
無着成恭さんが幸せそうなのは、奥様と一緒だからだろうなと、ついつい無着さんの含蓄ある話よりも、そんなことを考えながら、テレビを見ていました。
そして、だからこそ、「わりと早く日本はほろびるんじゃないかという気がする」と笑顔で語れるのだろうなと思ったりしていました。
寒かったせいか、どうも今日は思考が後ろ向きです。
しかし、やはり日本が滅んでしまうのは避けたいので、明日からはまた、その流れに抗うように行きたいと思います。
明日は、湯島で「辺野古」をテーマにしたサロンをやる予定です。
節子がいたらと、つくづく思います。
節子がいたら辺野古にも行けたでしょうから。
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