■戦争と平和を考える7:自らの居場所が見つからない人たち
一時、難民を受け入れる方向で動いていた世界が、一転して、難民拒否の動きに転じました。
次期米大統領選に共和党から立候補を目指しているドナルド・トランプ氏の「イスラム教徒の入国禁止」発言。あるいは、フランスの地方選において、移民批判を重ねる国民戦線の大躍進など、時代の流れは一転して、移民拒否です。
どうしてこうなってしまっているのでしょうか。
ドラッカーは、第二次世界大戦のさなかに書いた「産業人の未来」の中でこう書いています。
大衆にとって社会は、そこに自らの位置と役割がなければ、不合理で理解不能な魔物以外の何ものでもない。 さらに、そこにおける権力に正統性がなければ、専制、専横以外の何ものでもない。 そのとき彼らは不合理の魔力に従う。 信条をもたない大衆は、既存の社会秩序以外のものであれば何でも飲み込む。 いい換えるならば、彼ら大衆は、権力のための権力をねらう専制者や煽動家の餌食となる。 秩序をもたらしうるのは、彼らを奴隷としすべてを否定したときだけである。 機能する社会に組み込むことができなければ、彼らに秩序をもたらす方途はない。
実は先日、湯島で開催した「ドラッカーとナチスと市民性」というテーマのサロンの後の、メーリングリストでのやり取りで、私が思い出して引用した文章です。
そこでも書いたのですが、これはまさに現代において示唆に富むメッセージです。
ISがなぜ生まれたか、
そしてどうしたらIS問題を解決できるか、
そのすべてが、この文章で予言されているように思います。
そしてトランプ発言やマリーヌ・ルペン国民戦線党首の発言は、自らの位置と役割を見つけ出せない人たちをたくさん生み出していくことにつながるでしょう。
IS問題は対処療法的に解決しようとすればするほど、事態は深く広がりかねません。
そもそも「イスラム問題」とか「戦争」という切り口で捉えることに間違いがあるでしょう。
「戦争」ではなく「犯罪」ですから、軍隊により空爆などでは対処できるはずがないのです。
戦争は合法的なものでしたが、そういう意味での戦争は、もう起こることはないと思います。
ですから戦争を前提にした軍隊は、これからおそらくなくなっていくでしょう。
しかしそれでは困る人たちがいる。
だからこそテロ犯罪を戦争と意図的に混同させて、抑止力だとか軍事的集団自衛権とかを問題にしようとしているのではないかと思います。
合法的な戦争はもはやすでに「割に合わない戦略」になっているのです。
その代わりに、「見えない戦争」が広がりつつあります。
そして、その見えない戦争こそが、テロという犯罪を引き起こしているのではないかと思います。
次回は「見えない戦争」について考えてみようと思います。
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