■節子への挽歌3017:久しぶりの「もくれんの涙」
節子
ついでにというのもなんですが、もう一つ昨日の関連で書いてしまいましょう。
コンサート終了後、打ち上げ会をやりました。
今回のコンサートをプロデュースしたのは宮内さんです。
私は実際には何もやらなかったのですが、宮内さんが超人のごとき動きによって、大成功させたのです。
打ち上げに参加する資格はなかったのですが、まあ参加させてもらいました。
宮内さんが、いろいろと気遣ってくれて、最長老者の私を引き立ててくれました。
20人ほどが参加しましたが、ほとんどがミュージシャンです。
プロもいれば、アマもいますが、私にはその差はあんまり意味がありません。
コンサートでは、12人一緒のギターの弾き語りがありました。
佐々木祐滋さんも、そこにも参加しました。
12人が一斉にギター演奏をするというのは、とても迫力があります。
前日の夜、リハーサルでも聴いていましたが、やはり本番になると雰囲気が違いました。
打ち上げには、その12人の半分くらいが参加したので、後半はそれぞれがギターで弾き語りをしてくれました。
みんなそれぞれに個性があって、素晴らしいです。
コンサートの司会もしてくださった若桑さんがイマジンの替え歌を歌ってくれました。
また違った感動がありました。
最後に、宮内さんが、佐藤さんとの出会いの歌ですと言って、「もくれんの涙」を歌ってくれました。
そういえば、そうでした。
あれが宮内さんとの出会いの始まりだったのです。
2008年10月19日。
宮内さんは、わが家の庭で家族のために弾き語ってくれたのです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/10/post-a863.html
当時、節子を見送ってから1年後のわが家族は、まだおろおろとしていたはずです。
とりわけ私はまだ、あきらかに正常化していなかったでしょう。
そして宮内さんとの付き合いも7年以上が経過しているのです。
そして初めて、宮内さんと一緒の活動ができたのです。
昨日のコンサートは、私には実にさまざまな思いにつながるものになりました。
節子も、昨日はずっと私と一緒だったのだろうと思います。
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