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2015/12/23

■節子への挽歌3032:巡礼者の垂訓

節子
サンチアゴを歩いてきた鈴木さんから、たぶん、今年最後の手紙が届きました。
いつもと違って、はがきではなく、封書でした。
開いてみると、そこに1枚の文書が入っていました。
スペインの小さな教会でもらったのだそうです。
「巡礼者の垂訓」と題されて、10項目が挙げられています。
同封された鈴木さんの手紙に、こう書かれていました。

「巡礼者」を「(自分の)道を歩む者」にでも置き換えれば、万人にあてはまる内容ではないかと思います。

先日、鈴木さんが来た時に、「人生はまさに巡礼」と言うような話になったのを思い出しました。
この挽歌でも、前にそんなことを書いた気がしますが、そんなことを思いながら、「巡礼者の垂訓」を読んでみました。
先日会った時に鈴木さんが語っていたことに通ずることが書かれていました。
いずれも簡潔な言葉の中に、深い思いを感じます。

この「垂訓」の10か条は、巡礼をした人でなければ、深くは読み取れないかもしれないと思一方、逆に、こういう思いで、人生を歩めば、サンチアゴに行かなくても、その真意を読み取れるかもしれないという気にもなりました。
私自身、この数年、人生は巡礼のようなものと言う思いを強めてきていますが、その思いから、少しだけ理解できるものもありました。

たとえば、こう書かれています。

6.巡礼者は幸いである。全ての予想外の驚きに対して深い感謝の気持ちを表現する言葉を持たないとき。

節子がいなくなってから、「言葉」の意味が変わりました。
そして、「言葉」ではない「気持ち」の存在に気づきました。
深い思いは、「言葉」にはならないことも知りました。
「言葉」を使うことで、「言葉」に影響され、依存しがちになることも知りました。

次の文書も、いまではかなり理解できます。

5.巡礼者は幸いである。一歩戻って誰かを助けることの方が、わき目をふらずにただ前進することよりも、はるかに価値あることだということを見出すならば。

戻ることと進むことは、同じだと気づいたのも、節子を見送ってからです。
私が一時期、好んだ言葉は、「地球は丸いから、どちらに進んでも目的地に着く」ということです。
まあそれで、実際には目的地に定刻に着けなかったこともありますが。

まだ実現できていないこともありました。

4.巡礼者は幸いである。あなたのリュックが空っぽになり、心が静けさと生命で満たされるならば。

これはやはり巡礼を実際に体験しないとだめかもしれません。
私のリュックは、まだ荷物で山のようです。

鈴木さんには、いろんなことを気づかせてもらいました。
お互いに、心穏やかに年を越せることに感謝します。

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