■節子への挽歌3012:生活の充実とは何なのでしょうか
節子
最近いろいろとあって、時間的にも精神的にもあまり余裕がなく、畑もご無沙汰になっていました。
ずっと気になっていましたが、今日の午後、娘に手伝ってもらって、畑にチューリップの球根を植えてきました。
畑の道沿いも今年は少しきれいになってきていますが、来年こそは花壇を復活させたいと思います。
庭のランタナも畑に持っていきましたが、今年の冬は暖冬のようなので、冬超えしてくれるかもしれません。
先日植えた大根もだいぶ育っていました。
今日は娘に料理してもらいました。
収穫しわすれていたピーマンは、硬くなってしまっていましたが、むげに捨てる気もなりません。
何とか食べたいと思います。
自分で食材を育てると、捨てる気にはなりません。
娘が料理に使ったセリの根っこをプランターに植えたらとくれましたので、これもプランターに植えました。
私はセリが大好きなのです。
今日も在宅でしたが、いろいろありました。
今日は、5日にあるところで話すための資料づくりをするつもりだったのですが、やはりその準備は全くできませんでした。
人生は予定通りにはいかないものなのです。
しかし、最近は少し問題が多発しすぎです。
なかなか頭がそれについていけずに、生活が混乱してきています。
どこかで一度、整理しなければいけないのですが、あまりに異質な課題を背負い込みすぎてしまい、自己管理能力を超えてしまっています。
間違いなく、歳のせいでの能力低下です。
困ったものです。
それにしても今年ももう12月。
今年は何もしないままに終わりそうです。
節子がいなくなってから、空疎な年を重ねているような気がしてなりません。
生活に充実感が全くと言っていいほどないのです。
生活の充実とは、何なのでしょうか。
それが最近まったくわからなくなってきています。
明日は、心静まる日でありますように。
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