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2015/12/19

■節子への挽歌3028:生かされていればこそ、生命は大切にしなければいけません

節子
昨夜、わが家のすぐ近くで自動車事故がありました。
真夜中の2時頃です。
娘が騒いでいるので、私も目が覚めました。
どうも自動車が炎上し、消防車や救急車がたくさんやってきたのです。
高台のわが家から見えるところでの事故ですが、暗いのでよくわかりません。
しかし1時間以上騒ぎは続いていました。
救急車で運ばれていった人は大丈夫だったでしょうか。
その人の家族の人生は、一変したことでしょう。
まったくの準備時間もないままに。

最近、何事もなく人生を全うすることの幸運さがわかるようになりました。
私自身、あまり苦労なく、幸運の中で生きてきましたから、どうもそういうことへの思いが至らないのです。
節子との別れを体験した時には、自分ほどの不幸な人はいないとさえ思ったほどですが、いまから考えればとんでもない思い違いです。
愛する人との別れの時間を経験することができることさえ、幸せと言うべきかもしれません。

これも最近ですが、先の戦争やその後の世界の悲惨な姿を記録したドキュメンタリー番組を集中的に観ています。
このブログの時評編で、「戦争と平和」について書きだしたのですが、それが途中で書けなくなってしまったためです。
いろんな思いが頭にあふれだし、改めて以前から撮りためていた記録番組を観ているのですが、それこそ以前はとても観られずに逃げていた番組をしっかりと観るようにしています。
20世紀はなんとひどい時代だったことか。
そして今もなお、なんとひどい時代であることか。
私は本当にこの「ひどい時代」を生きていることを、認識していただろうか。
そう思うと、自分の生き方にたくさんの悔いが残ります。
そのひどい時代に、節子への挽歌を書き続けられる幸せを大事にしなければいけません。

それにしても、生命と言うのがこれほどまでに「もろく」「弱い」存在なのかを、この頃、痛感します。
節子がいるころは、そんなことなど考えもしませんでした。
娘が医師から見放されるようなこともありましたし、節子の病気も医師からはある意味で見放されていたのです。
娘は生き抜きましたし、節子も生き抜くと確信していました。
しかし、後から思えば、あまりにも思慮が浅かったのです。

生命は、生かされている。
だからこそ、大切にしなければいけない。
もっと早く気づいていれば、と、事あるたびに思います。

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