■節子への挽歌3019:明るいイマジンな生き方
節子
今日はジョン・レノンの命日です。
一昨日の平和コンサートでも、布佐中学校の吹奏楽部がイマジンを演奏してくれましたし、打ち上げでは司会をやった若桑さんがすばらしい歌詞で、イマジンを弾き語ってくれました。
そのせいか、この数日、頭の中にイマジンが住んでいるような気分です。
節子と最初に会った1964年に、日本ではビートルズのレコードが発売され、その年にビートルズは来日しました。
あの頃は、いまとは全く違った時代だったような気がします。
未来が輝いていましたし、若さがみなぎっていました。
私たちが若かっただけではなく、時代が若かったのです。
その幸せな時代を私たちは生きられました。
あの時代であればこそ、節子との生き方が成り立ったのかもしれません。
私たちは、時代に支えられて生きてきたような気がします。
生まれる時代が違えば、きっとこんな生き方はできなかったでしょう。
私も節子も、親の意向に抗いながら、わがままに、そして迷惑をかけながら、自分の思い通りの生き方をしてきたのです。
ある意味では2人とも、「親不孝」な生き方だったかもしれません。
とりわけ私は、自分本位のわがままさをまき散らしてきたのかもしれません。
今になって、娘からそれを指摘されると、反論が全くできません。
常識のない親を持つと子どもは大変なのかもしれません。
私たちが「親不孝」だったことのためか、私たちの子どもたちもまた「親不孝」な生き方をしています。
しかし、娘たちから言わせると、おそらく私たちは「親不孝」であると同時に、「子不幸」な生き方でもあったのです。
最近それがよくわかります。
私たちは、子どもが生まれてからも、親と同居してからも、いつもいつも「夫婦」中心で生きていたようです。
相手ばかりを見ていたのかもしれません。
自分が親になると、そのことがよくわかります。
その因果応報は素直に受けなければいけません。
ジョン・レノンは若くして凶弾に倒れました。
しかし、いまもなお、ジョン・レノンは生きている。
谷川俊太郎の詩ではありませんが、「だれもなくならない」のです。
イマジンのメッセージは、しかし、あの頃といまとでは大きく違うような気もします。
あの頃は、明るい世界が伝わってきましたが、いまは必ずしもそうではない。
明るいイマジンな生き方ができたことに感謝しなければいけません。
一緒に生きてくれた節子にも。
そして娘たちにも。
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