■戦争と平和を考える9:なぜ人は戦うのか
先週、湯島でお話をしてくださった東アジア共同体研究所の緒方さんから、いま、沖縄市で「戦後70年コザ暴動プロジェクト」が開催されていることを教えてもらいました。
http://kozaweb.jp/event/detail.html?&sp=true&id=2687
すっかりと忘れていましたが、そういえば、45年前の明日(1970年12月20日)は、沖縄のゴザでは米兵の起こした交通事故が発端となり、沖縄の住民の怒りが爆発した『コザ暴動』が起こった日です。
米軍関係の車両が、住民たちの手によって燃やされたのです。
緒方さんが送ってくださった「コザ「蜂起」45年」を読みながら、そこにはまだ、住民の怒りを爆発できる場所があったのだと思いました。
そして「戦う意味」もあったのです。
しかし、いまはどうか。
このシリーズは、安保法制騒動考を契機に書きだした第3部なのですが、次第に書けなくなってきています。
その理由は、戦争とはいったい何なのかが、どうも私自身よくわからなくなってきたからです。
たとえば、ナチスヒトラーはドイツ国民の支えによって生まれたという話と同じように、日本の戦前の軍国主義もまた、普通の日本人の支えによって戦争へと向かったはずです。
そして、その「恩恵」で、いまの私たちの生活がある。
そういう風に考えていくと、靖国神社に祀られたA級戦犯は果たして特別の存在なのだろうか、などという疑問まで出てきてしまい、思考が完全にストップしてしまってきたのです。
私がこれまで考えていたことが、根底から壊れだしているような気さえしています。
そのせいか、たぶん今回のシリーズは、内容が支離滅裂になっているでしょう。
私自身どうもすっきりしないのです。
少し前までは、私自身、何かわかった気がしていて、未来の展望さえも見えていたような気がしていましたが、いまは頭が混乱しています。
いったい人は何のために戦うのか。
もはや、これまでの意味での「戦う」ことは不要になってきているのではないか。
ミシェル・フーコーは、フランス革命時の断頭台での処刑儀式が不要になってきたことを説明してくれていますが、その延長上に、「殺戮しあう戦争」儀式もあるのではないか。
そんな気がしてきました。
それに、戦争がもし「利益争い」だとしたら、コストがかかりすぎる「殺し合い」は割が合うとは思えませんし、効果的でもありません。
「支配関係の維持」よりも、「権力の構造化」のほうが、利益をむさぼるには好都合のはずです。
そして、すでにそれに代わるものは生まれだしています。
たとえば、TPPは新しい形の戦争と言っていいでしょう。
ほかにもいろいろと考えられます。
いずれにしろ、軍事力による戦争は、冷戦時代を契機に、戦争の中心ではなくなりました。
そして、最近の新しい戦争は、始める前にすでに勝敗は決しているのが特徴です。
そもそも当事者はそれが戦争だとは思っていませんので、勝敗という意識さえ生まれません。
言い換えれば、孫子の兵法に言う「戦わない戦争」なのです。
権力による支配構造をつくることで、暴力に依存するよりもコストはかからないでしょう。
この第3部は、そういう結論に到達するはずでした。
しかし、まったく別の到達点も見えてきます。
戦争は殺戮しあうことにこそ意味があるという、おぞましい考えです。
いわゆるジェノサイド、あるいは優生思想につながる考えです。
いささか極端に聞こえるかもしれませんが、もはや「人間」など不要な時代になってきてしまっているのです。
シリアで展開されている「ISの戦争」には、それを感じます。
もちろん当事者の意図は、そこにはないでしょう。
しかし今は敵味方に関係ない「殺し合い」が展開されています。
それを進めているには、自らは「殺し合い」の外部にいる、無人機による空爆を指揮している人たちです。
そこでの「戦いの構図」がとても気になります。
このシリーズになんとかまとまりをつけようと、この数日毎日考えているのですが、書き出すとおかしな方向にいってしまい、途中でさじを投げだしていました。
今日は、中途半端なままですが、アップすることにしますが、つづけて、もうひとつだけ短いものを書いて、このシリーズから自らを解放したいと思います。
このシリーズを始めてしまったために、時評編が書けなくなってしまっています。
身のほどを知らねばいけません。
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