■節子への挽歌3037:今年もいろんな人が湯島に来てくれました
節子
今年最後のサロンでした。
たぶん節子も会ったことのある、宮崎稔さんに久しぶりに来てもらいました。
今年はいろんなサロンを開きました。
節子がいなくなってから、サロンの終わった後の後片付けは参加者の誰かが自然とやるようになってきました。
私は一度も頼んだことはないのですが、不思議なほど、誰かがやってくれるのです。
それも、意外な(と言うと失礼ですが)人がやってくれます。
今日はなんと太田篤さんが、「今日はおれがやるか」とつぶやきながら、みんなのコーヒーカップを洗ってくれました。
ご家族や職場の人が見たら、腰を抜かすのではないかと思ってしまいます。
某大企業の部長も、必ずと言っていいほど、カップを洗って、しかもきちんと片づけていってくれます。
若い男性の学生たちもそうなのには驚きます。
もちろん女性たちもそうですが、まあ不思議と言えば不思議です。
そんなわけで、私はほとんど後片付けをしなくてもいいのです。
湯島のこの空間には、少し心がけている2つのルールがあります。
他者を過剰に貶めないこと。
この場ではだれもが同じ立場で尊重されること。
この2つです。
ですから、大企業の社長であろうと新入社員であろうと、
大学教授であろうと大学1年生であろうと、
道を少し踏み外した人であろうと踏み外した人を質す人であろうと、
思想家であろうと専業主婦であろうと、
革命家であろうと保守本流であろうと、
みんな同じ立場で、基本は「さんづけ」で呼び合うのです。
長年そうやってきているせいでしょうか、ここに来るとみんなが「肩書のない個人」になってしまうのかもしれません。
そして、自発的に後片付けをしてくれるのでしょう。
いつぞやは、何と節子もよく知っている、あの80代の大先生の杉本泰治さんさえ、今日は私がやると言って、みんなが使ったコーヒーカップを洗っていました。
いやはや恐れ入った話です。
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