■節子への挽歌3029:宮澤さんはあったかな人でした
節子
例年、この時期になると、世田谷一家殺害事件がテレビで取り上げられます。
今年は事件後15年経過したため、連日のように取り上げられています。
被害者の宮澤さんは、私の知り合いでした。
その関係からか、事件のあった翌日の大晦日、自宅に電話がありました。
そして年が明けてから、警察の人たちが湯島にもやってきました。
一度は6人もやってきたので、いささか私も緊張してしまったほどです。
当時は、ある会を立ち上げていたのですが、宮澤さんもその仲間でした。
宮澤さんは、とてもあったかな人でした。
事件はすぐにでも解決すると思っていました。
しかし解決せず、その後も湯島に警察がやってきました。
私と宮澤さんとのメールのやりとりのコピーを見せられた時にはさすがにあまりいいい気はしませんでしたが、個別聴取ではなく、関係者を集めての話し合いをやったらいいのにと思いました。
もっとも私には、事件解決に役立つような情報は心当たりもなく、何の役にも立ちませんでした。
こんなことを言うのは不謹慎ですが、一家みんなが一緒だったことに、私はせめてもの救いを感じたものでした。
その気持ちは、節子を見送った時に、さらに強まりました。
しかし、考えてみたら、宮澤さんにも両親がいます。
テレビで宮澤さんのお母さんが話しているのを聞きながら、その不見識を恥じました。
頭では、そう思ってはいるのですが、しかし宮澤さん親子4人の写真を見るたびに、ちょっとだけうらやましい気持ちが浮かんでくることは否定できません。
伴侶がいなくなった者には、どこかゆがんだコンプレックスがあるのです。
毎年、年末にこの事件の報道に接すると、私はとても複雑な気持ちになってしまいます。
それにしても、あれからもう15年。
時間が経つのは、本当に早いです。
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