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2015/12/03

■節子への挽歌3013:生活能力の低下

節子
やはり私は健全に老化してきているようです。
無意識の気持ちの上では、老人の自覚は皆無なのですが、心身ともにかなり老化してきています。
この数日感じているのは、問題を構造化し整序する力が大幅に低下しています。
いま抱えているさまざまなプロジェクトや課題を、うまく包摂的に対応できなくなっていて、効果的に取り組めなくなっているのです。
数年前まではこんなことは全くありませんでした。
20近いプロジェクトや課題を、並行して進め、しかもそれらの関係性を自然と構造化できていたように思います。
だから毎日がわくわくできていたのです。
しかし、いまはそんなことはできず、ただただ混乱し、一つずつ対応するような退屈な進め方になりがちです。
しかも、トラブルが煩わしくもなってきました。
トラブルこそが面白いはずなのに。

論理的に思考できる仕事と違って、生活においては、論理とは別次元の事態が常に起こります。
生活の予定を組んでいても、思わぬ来客があったり、急に雨が降ってきたり、突然の訃報があったり、気分が乗らずに問題を先送りにしたり、思ってもいなかったことをやってしまったり、いろいろあります。
こうしたことに関しては、男性よりも女性の方が柔軟に対応できるように思います。
仕事場と生活場では、あきらかに様相は違うのです。
私が若いころ、よく「女性は論理的ではない」という言い方がされていましたが、私は、女性の論理は男性の論理よりも大きな論理性を持っていると考えていました。
そしてそれを学びたいと考えてきました。
しかし、残念ながら時代の流れは反対で、女性たちが男性的な「小さな論理」思考によって、男性社会に入り込みだしてきているように思います。
しかし、それによって失うのは、たぶん「生活能力」でしょう。
生活は、大きな論理で動いているからです。
そこが希薄なると社会はおそらくもろいものになっていくでしょう。
いまの日本は、まさにそうなっているように思います。

挽歌編にしてはいささかややこしいことを書いてしまいましたが、要は私は最近、問題の対応を楽しむのではなく、少し追われ気味になっているということです。
まちがいなく「生活能力の低下」です。
そう言えば、いまパソコンでこの文章を書いている机(3つ使っています)は、この1か月以上、整理していないです。
書類の山でうずまっています。
それこそが頭が整理されない原因かもしれません。
今日は帰宅したらまずは整理整頓から始めましょう。

節子がいなくなってから、どうも生活が投げやりになりがちです。
なんだか一昨日と同じようなことを書いてしまいました。
困ったものです。

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