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2015/12/29

■節子への挽歌3040:昭和の生き方

節子
今年はのんびりした年末を過ごしています。
こんなにのんびりした年末は生まれて初めてかもしれません。
パソコンにもあまり向かわないのも、のんびりした一因かもしれません。
26日までは湯島のサロンがありましたが、それが終わってから、ほとんど何もすることなく過ごしています。
今年もあまりにいろんなことがあったため、正直、少し疲れて、思考力がなくなっているせいもあります。

その怠惰さの中で、一昨日、録画していたWOWOWテレビドラマ「誤断」6話をまとめてみてしまいました。
舞台は薬害事件を抱える大手製薬会社。
会社の繁栄と存続を優先する上司と薬害事件の隠蔽工作を指示された若手社員の主人公を軸に、さまざまな「生き方」「幸せ」を問題提起するドラマです。
経済的に貧しい時代に育った「上司」はすべてをお金で解決しようとします。
主人公は、その生き方に疑問を持ち出す。
結局、小林稔さんが演ずる「上司」に、「誠意」で立ち向かった主人公が「勝つ」のですが、最後が実に「残酷」なのです。

主人公の上司がこうつぶやきます。
「俺はどこで生き方を間違えたのだろうか?」
その上司に主人公は「時代が変わっただけです」と答えます。

その上司に生き方は、私とは正反対だと思いながらドラマを見ていましたが、もしかしたら私もその上司と同じ生き方になっていたのではないか、と今日になって、ふと思ったのです。
わたしも、間違いなく、「昭和」を生きた人間ですから。
ちなみに、その「上司」は、お金で解決するのですが、それ以外の点では実にほれ込みたくなる生き方なのです。
ドラマを見ていないとわかりにくいでしょうが、どうもそのドラマの昭和時代の人たちのことが頭から離れません。
悲しくてさびしくて、しかしどこかに共感する潔さがある。

9年前の節子との別れは、私の人生を変えましたが、その余波はいまもなお続いています。
たくさんの友人知人に支えられているとは言うものの、伴侶でなければ相談できないこともあります。
独りで生きることは、楽なこともありますが、疲れは癒されずに蓄積します。
「誤断」の「上司」は、妻や娘からもはじき出されてしまいます。
妻のため、家族のため、そして部下のため、社員のためと思っていたことがすべて「裏目」に出てしまったのです。
幸いに私は、はじき出されずにいますが、それは節子であればこそだったかもしれません。
しかし、節子はどう思っていたか。
もちろん、その「上司」と私は、価値観や行動は全く違います。
しかし、どこかに似たものを感ずるのはなぜでしょうか。

もしかしたら、という思いが頭の中で膨れ上がってきています。
私もどこかで、どこかで何かを間違えてしまったのかもしれません。
節子がいたら、節子と話したら、それがわかるかもしれません。
一人で考えていると、ますます頭が混乱してきます。

今年は、いろいろありすぎました。
誰に言えないことがあまりにも多い。
だれかに何も言わずに抱きしめてもらいたい気分です。
テレビを見て、最近涙がよく出るのは、そのせいかもしれません。
涙が出ると、心が少し癒されます。

今年は最後に少し頑張りすぎてしまったかもしれません。
これまでの自分の生き方を、少し恥じたからなのですが、残念ながら自分の能力がついてきていないことを思い知らされています。

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