■戦争と平和を考える5:戦争と犯罪
この1週間ばたばたしていて書けませんでしたが、世界はますます「戦争状況」になってきています。
昨日もアメリカで銃撃事件が起こりましたが、武器を持つことで人の意識は変わっていくのでしょう。
前回、日本の自衛隊は「戦争をしない軍隊」と書きました。
かりに海外に派兵された自衛隊員が、現地で戦闘に巻き込まれ、相手を殺害した場合、それは「警察官職務執行法」の下で裁かれることになるのでしょうか。
つまり、正当防衛、緊急避難か、あるいは殺人かが問われることになるでしょう。
軍隊である場合は全く違います。
軍隊は、戦時において相手を殺傷し、ものを破壊するための集団です。
そうした行為は、犯罪にはなりません。
つまり、殺傷や破壊を正当化するのが、軍隊という組織、軍事力という力です。
昨日のアメリカの銃撃戦は「戦争」とは捉えられないでしょう。
ではパリのテロ事件はどうか。
ISのパルミラ遺跡の破壊はどうか。
どこまでが正当化され、どこまでが犯罪なのか。
実に悩ましい問題です。
現在のような状況のなかでは、「犯罪」と「戦争」を峻別することは難しいでしょう。
戦争はある意味でルールと論理に従って展開されますが、犯罪はそうしたものから逸脱するところで展開されます。
そこがつながってきてしまっているのが、グローバリゼーションの時代です。
国家の統治力が相対化してきてしまったということです。
抑止力に関して、前の2つのシリーズで何回か書きましたが、抑止効果を支えるのは論理です。
たしかに国家間の戦争には軍事力が抑止効果をもった時代はあったかもしれません。
たとえば、冷戦時代の初期はそうだったかもしれません。
しかし、グローバリゼーションのなかで、それこそ「格差」や「貧困」がグローバルに広がってきている状況においては、それこそが犯罪としてのテロを生み出すことは否定できません。
戦争が犯罪性を高めてきている現在、これまでの抑止力の考え方では対応できないでしょう。
犯罪に対して効果があるのは「危機管理」発想です。
危機管理においては、たぶん軍隊よりも警察の方が効果的に作動するでしょう。
そもそも組織の目的が違うからです。
グローバリゼーションによって、国家の意味が変化してきているように、国家間の争いであった戦争の意味も変質してきています。
犯罪と戦争が、まさに「シームレス」につながってしまったのです。
いま国家はISにてこずっていますが、おそらく「問題の立て方」あるいは「構造の捉え方」が間違っているためでしょう。
パルミラ遺跡を破壊したISは、単なる犯罪集団でしかありません。
それへの対処で、国家が争うなどということはあってはならないはずなのですが。
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