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2016/01/05

■節子への挽歌3047:私の両親が節子を呼んだのかもしれません

節子
私の両親に新年のあいさつに行ってきました。
といっても、いずれも節子と同じでいまは彼岸にいますので、仏壇にお線香をあげてきただけですが。

私の両親を最後まで看取ってくれたのは、節子でした。
その点では、節子には感謝しています。
苦労も多かったと思いますが、一言も苦労を言葉には出しませんでした。
私の両親からも深く信頼され感謝されていたように思います。
両親は、いささか変わり者の私よりも、節子の方に心を許していたことは間違いありません。
しかし、その分、節子は実際にはいろいろと大変だったのでしょう。
後から思えば、それを感じさせられたこともないわけではありません。

お墓にはほとんど興味がなく、むしろ自然の中での樹木葬のようなものを望んでいたと思っていた節子から、突然に、私の両親のお墓への埋葬を頼まれた時には正直驚きました。
両親の死後、お墓を管理してもらっている兄に頼んで、お墓に入れてもらいました。
私の両親はきっと喜んだことでしょう。
私は、いささか複雑な気分でした。
私もお墓ではなく、むしろ樹木葬のようなものを考えていたからです。
しかし、節子がお墓を選んだ以上、私もそのお墓に入れてもらうつもりです。

節子がなぜ、死の直前になって、考えを変えたのかはわかりません。
訊ねる余裕は、私にはありませんでした。
しかし、いまにして思えば、いささか恥ずかしいのですが、死後もまた、私と共にあることを望んだのではないかと思います。
もう少し時間があれば、いろいろと死後のことも話し合えたのですが、当時の私には、節子ほど余裕はなかったのです。
「死」など考えたくなく、その種の話には、おそらく強い拒否反応を示したのでしょう。
節子はそれが不満だったかもしれませんが、ある時からは私のことを思ってか、そういう話はしなくなりました。
そして、私はといえば、息を引き取る数時間前まで、私は節子の死を受け容れられなかったのです。
娘たちからもあきれられた程、私は我を失っていたのです。
最後の話さえしていないのです。
情ない話です。

両親の仏壇を前にして、少しだけ節子の話になりました。
今や私も兄夫婦も、いつお呼びが来てもおかしくない歳になりました。
その時が来たら、抗うことなく、素直に旅立つようにしたいと思っています。
しかし、一番年下だった節子が一番先に逝ってしまったのは、やはり悲しさが残ります。
もしかしたら、私の両親が一番お気に入りだった節子を最初に呼んだのかもしれません。
ふと、そんなことを思いました。

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