■節子への挽歌3063:不覚にも風邪のようです
節子
不覚にも風邪のようです。
昨日、少しおかしいなと思ったのですが、夕方からの相談を受けている時に、突然悪寒が襲ってきて、体が震え始めたのです。
3本目の栄養ドリンクを飲んで、何とか帰宅しましたが、相談を延期してもらえばよかったのですが、やはりそこに問題があると放ってはおけません。
これはどうも私の習性のようです。
節子がいたら、引き止めてくれるのでしょうが、いまはもう歯止めが聞きません。
帰宅して、湯ぶねで身体を15分ほどあっためて、そのまま寝てしまいましたが、2時半ごろ目が覚めてしまい、また眠れなくなりました。
まあ私もそれなりに自分の心配事もあるのです。
そのうち、昨夜相談に乗っていたことへの対応がいささか不親切な気がしてきて、改めて問題解決について考えだしたら、さらに眠れなくなりました。
熱はあるし、喉は痛いし、何か身体のバランス感覚がおかしいし、何かじっとしていられない気分にさえなってきて、辛い夜でした。
明け方にうとうとして、何とか起きられましたが、早速、昨夜の相談の処方を書き、送りました。
いまもまだなんとなくぞくぞくしますが、少し横になってから、今日も湯島に出かけないといけません。
今日は、「支え合いの仕組みを考える」と言うサロンなのです。
いまの私は、まさに支えてもらいたい状況ですが、こういう状況にあると、ますます支え合いのつながりが大切に思えます。
でも、普段は多くの人は「支え合い」にはあんまり関心は持たないのかもしれません。
今日はあまり集まりがよくありません。
支えられるためには支えなければいけません。
いまの社会は、支える余裕を失っている人が多いのかもしれません。
しかし、支えることこそが支えられることだと気づけば、世界の見方や生き方は変わってくるでしょう。
自分が弱い状況にある時こそ、支え合いを考えるのに適しているかもしれません。
今日は、そういう意味ではいい日なのですが、問題は無事湯島に行けるかどうかです。
その前にまずはもう一眠りしようと思います。
眠れるといいのですが。
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