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2016/01/13

■節子への挽歌3053:「思ってもいなかった人」からのメール

節子
昨年はさんざんな年だったので、今年は良い年になるだろうと思っていました。
しかし、どうも新しい年の始まりは、あまり良いものではありませんでした。
また2つ、私にとっては厳しいニュースが入ってきました。
世界がどれほど平和であろうと、身近な人たちが平和でなければ、人は心やすまることもないでしょう。
昨日はいささか滅入りすぎて、そろそろ動きだそうと思っていた気が、また消えてしまいました。
この数日の寒さは、もしかしたら、3人の人たちの心のせいかもしれません。
こうした出来事が、世界を凍らせてしまっているのではないかと思うほどでした。
昨日は湯島に行く元気もなく、また自宅で縮こまっていました。

昨夜、気を取り直して、パソコンに向かいました。
メールを開いたら、思ってもいなかった人からメールが届いていました。
「修さん、挽歌はもしかしたら、私のことでしょうか?」
それを読んでいささかまた混乱してしまいました。
まさに、そうだったからです。
「そうだとすると、ほんとにご心配かけて申し訳ありません。
私はなんとか、元気というかやっています。」

先日は衝動的に挽歌を書いてしまいましたが、やはり少し考えてから書こうと思い直しました。
それで書き出していた挽歌の記事もアップするのをやめました。
どうもまた私の思考は混乱しているような気がするからです。

そして今朝、またパソコンを開きました。
さらに「思ってもいなかった人」からの私を元気づけるメールです。
役割の立場が逆転している。
そう思いました。
もう少し考えなければいけません。

今夕からまた挽歌と時評を再開しようと思います。
今日は延ばし延ばしにしていた年賀状を書きながら、少し自らの生き方を考え直そうかと思います。
反省点がありすぎます。
自らには見えていませんが、今回はまたいろいろと気づかせてもらいましたので。

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