■節子への挽歌3054:「人は愛する何かに出会う度に、自分の一部を得る」
節子
やはり今日もどうも元気が出ません。
書こうと思っていた年賀状も1枚も書けませんでした。
まあそういうこともあるでしょう。
無理をすることもありません。
年甲斐もなく、と言われそうですが、今日は無性に泣きたい気分になりました。
そういえば最近あまり涙を流していません。
人は時に涙が必要です。
怒りよりも涙の方が健康にもいいでしょう。
そこで思いついたのが、ジョディ・フォスター主演の映画「ブレイブワン」です。
以前、時評編や挽歌編で、何回か書いたことのある映画です。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/12/post-0d30.html
あの映画なら、泣けるだろうと思いました。
映画のあらすじはもう頭にこびりついてはいるのですが。
映画の冒頭に出てくるのが、主人公のエリカが語る次の言葉です。
「人は愛する何かを失う度に、自分の一部を失う」
残念ながら涙は出ましたが、泣けませんでした。
泣ける映画は「永遠と一日」かもしれませんが、「ブレイブワン」を観終わったら、泣きたい気分も消えました。
不思議なことに、「怒り」の気持も消えました。
数日かかりましたが、ようやく気分が落ち着きました。
明日は湯島にも行けそうです。
エリカの言葉ですが、こうも言えます。
「人は愛する何かに出会う度に、自分の一部を得る」
人を愛すると、人は強くなる。
だから人を愛した人は、一部を失っても大丈夫なのかもしれません。
エリカがそうであったように、新しい自分が生まれるかもしれません。
いまであれば、以前書いたような挽歌とはかなり内容が変わりそうです。
私もどんどん変わっているようです。
それを、素直に受け入れなければいけません。
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