■節子への挽歌3058:中途半端な風の人
節子
今日は地元の我孫子で活動している女性たちと話し合いをしました。
実は、地元の我孫子周辺での新しいネットワーキングをしたいと思っているのです。
節子がいたら、まったく違った方法で、我孫子の女性たちのつながりづくりを試みたと思いますが、いまはそれも難しいです。
幸いにもある方から声がかかったので、会いに行きました。
途中で、近くの、私よりも年上の女性にあいさつされました。
最初は誰だか気づかなかったのですが、以前から我孫子に住んでいて、生活レベルでの地域活動をされている方だと気づきました。
もうかなり前になりますが、市長選挙で、その方たちの仲間の応援をささやかにさせてもらった時にお会いしたのです。
私は、女性の顔がなかなか覚えられません。
男性はかなり覚えられるのですが、女性の顔はなぜかあんまり区別がつかないのです。
ですから街中であいさつされても戸惑うことも少なくありません。
困ったものです。
先日もサロンに来てくださった方の顔がすぐに思い出せませんでした。
女性の顔は「変化」するからかもしれません。
さらに歩いていくと、横に自動車が止まりました。
なんだろうと思ったら、窓が開いて、声をかけられました。
市役所の青木さんでした。
これから都心に出張だそうですが、まさか青木さんに会うとは思っていませんでした。
というのは、我孫子で新しいネットワーキングをしようと思いだした一因は、青木さんのある言葉に始まったからです。
それに関しては、今回は書くのを止めますが、どうやらまたシンクロニシティの波がやって来たようです。
お会いしたのは、それぞれ別々に活動している女性たちでした。
いずれの方も、これまでとは違った発想での活動に転じつつあるようでした。
だとしたら接点があるかもしれません。
そう思えたこともあり、いつものように、失礼な質問を重ねてしまいました。
しかし怒らずに最後まで付き合ってくれました。
話していたら、やはり共通の友人知人がいることがわかってきました。
地域で活動するということは、そういうことなのでしょう。
しかし私は、我孫子に住んではいるものの、転居してきたのが、たしか37歳でした。
ですから生活次元での共有体験を持っている人が、残念ながらいません。
「土の人」と「風の人」に分ければ、私は中途半端な「風の人」でしかありません。
幼なじみもいませんし、子ども時代を知りぬかれた先輩もいません。
女性の場合は、それでもすっと「土の人」に入り込んで行けますが、私の場合は苦手です。
節子がいたらなあと、改めて思った1日でした。
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