■「憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ」
北朝鮮がまた核実験をやりました。
国際的に批判の声があがっています。
たしかに時代に流れに逆行する蛮行だと思います。
しかし、各国政府が一方的に北朝鮮政府を非難攻撃する姿勢には違和感があります。
批判する側に、果たして批判する資格があるのか、と思うのです。
同時に、北朝鮮の平壌市民の声をテレビで見ると、1930年代から40年代の日本国民も同じだったのではないかと思ってしまいます。
いや、まさに今の日本国民もそう変わらないのではないかとさえ思えます。
そうした人たちを責めたり嘲る気にはなりません。
IS関連の報道もいささかの違和感があります。
もし報道の通りの蛮行をISが繰り返しているのであれば、にもかかわらずなぜISに参加する若者が減らないのか、が理解できません。
参加せざるを得ない状況が、あるのではないかと、つい思ってしまうわけです。
北朝鮮の核実験に関連して報道される金正恩にさえ同情したくなります。
もしかしたら、目に見えない恐怖に一番おののいているのは、金正恩かもしれません。
そう思っていた時に、ある人が、チャップリンの映画「独裁者」でのスピーチを思い出させてくれました。
ユーチューブで、改めてそれを見ました。
https://www.youtube.com/watch?v=RzTmkoR6mMQ
繰り返し2回見ました。
その中の次の言葉に心が響きました。
憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ。
金正恩は、愛されたことがないのではないか。
そんな気がします。
そして、その金正恩を憎む人もまた、愛されたことがないのかもしれません。
もちろんだからと言って、核実験は許されることではないでしょう。
核実験は、原発再稼働や原発輸出と同じく、許されるべきではない。
しかし、もし核実験を非難するのであれば、自らの核兵器や原発を、まずは廃絶する努力をするべきでしょう。
ましてや、膨大な核兵器を保有する国家の軍隊と同盟することで、核兵器に依存して相手を脅威にさらすような国に、果たして北朝鮮を責める資格があるのか。
私にはあるはずもないと思います。
北朝鮮の核実験を責めるのであれば、まずは自国の原発再稼働や核抑止力依存の政治を止めなければいけません。
銃で支配する者は、銃を向けられても、相手を非難などできるはずもない。
そんなことさえ気づかない人たちには、つくづく愛想が尽きてきます。
恐怖におびえている、金正恩や北朝鮮政府を、まずは安心させてやることが大切ではないのか。
同じことが、ISについても言えるのではないか。
そう思うのですが、なかなか賛成してはもらえないでしょうね。
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