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2016/01/10

■節子への挽歌3052:「怒り」の独白

節子
時に、声をかけられないほど、声をかけたくなることがあります。
なんとか声をかけたい気分なのに、どう声をかけたらいいのか全く分からない。
相手は声をかけてほしくないと思っているかもしれません。
しかし、そういう時こそ、声をかけてくれるのを待っているのかもしれない。
私自身の経験においても、自分ながらに矛盾した気持ちが行き来した記憶があります。
どんな声であろうと、私の場合は遠くにしか聞こえませんでした。
しかし、時に声が近くに響いて傷ついたこともある。
節子を見送った後のことをいろいろと思い出しました。

私の友人に、とても残酷なことが起こってしまったことを知ったのは、数日前です。
それ以来、声をかけるべきか、かけないべきか、頭が整理できません。
かけてもかけなくても、後悔が残るでしょう。
かけてもかけなくとも、相手を傷つけることになる。
こんな時には、あまり考えずに、素直に思ったように行動するのがいいのですが、考えてしまうと、もう思考が空回りしだして、動けなくなってしまう。
そんな数日を過ごしています。
このブログを書くことも、なんとなく気が重くさえなっていました。
何かを書いていると、どうもそのことが頭に浮かんでくるのです。
声にならない、文字にならない、なにかが心身に渦巻いている感じです。

節子を喪った「怒り」を、私はこの挽歌でほぐしてきました。
彼は、どうやって、「怒り」をほぐしているのだろう。
25年ほど前に,彼から聞いた話が、いまでも頭から離れません。
彼がああいう話をしたのは、こういう時に声をかけてということだったのではないのかなどと、ついつい過剰な考えをしてしまう。
私なら、ほぐしの相手になれるかもしれないと思う一方で、それは私の思い上がりだという気もします。
彼は、私よりも強いから大丈夫だろうと思う半面、強そうに見える人こそ弱いのだという気もしてくる。
彼の場合は、私と違って、伴侶がいますから、怒りをシェアできているかもしれません。。
しかし、シェアできない怒りもあるかもしれない。

自分のことでもない、そうした残酷な体験の渦中にある友人のことを思うと、私にもなぜか「怒り」がわいてくる。
彼のように善く生きている人が、なぜこんな仕打ちを受けなければいけないのか。
そういえば、私だって節子だって、それなりに「善く」生きていたはずだ。
にもかかわらず、私たちも不条理な別れ方を余儀なくされたのはなぜだろう。
「怒り」をぶつける相手がいないのは、もしかしたら私なのかもしれません。

読者には何のことやらわからないと思いますが、今回は私の怒りの独白としてお許しください。
声にも文字にもならない私の思いを、少しだけほぐすことができました。
書くだけで、先方に何かが伝わることがあるかもしれません。
この挽歌に私が書くことで、彼岸にいる節子に私の思いが伝わるように。

彼の平安を、深く祈念します。
できるだけ早く、彼にところに会いに行こうと思います。

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