■節子への挽歌3048:平安な暮らし
節子
いただいた年賀状を読みながら返事を書きだしました。
返事を書こうと思いながら改めて年賀状を読むといろんな思いが浮かんできます。
節子が年賀状を一人ずつていねいに書いていたのを思い出します。
テレビや新聞で時々顔を見ている友人の年賀状の欄外に、12月に2度目のがんの手術をしたと書かれていました。
手術をしたことは知っていましたが、2度目のがん手術とは思っていませんでした。
以前テレビで何回かご一緒した人ですが、その生き方と考え方にとても共感できるところがありました。
有名になってくると、ついつい会うのを遠慮してしまいます。
そうして付き合いが途絶えがちになる知人も少なくありません。
でも本当は、有名になっても友人は友人なのでしょう。
今年は会えるといいのですが。
20年ほど前に湯島に来てくださった航空会社の方が、いまも毎年年賀状をくれます。
その会社で講演させてもらった時に、社会活動について話させてもらったのですが、会社の仲間と一緒に社会活動に取り組むグループをつくったと報告に来てくれたのです。
おそらくお会いしたのは講演の時と湯島に来てくれた時だけだと思いますが、いまもまだ年賀状をくれるのです。
私はあんまり返信もしていないのですが。
いまも大学のスクーリングに出たりしていると添え書きがありました。
久しぶりに返信しようと思います。
まあそんな感じで読んでいくと思った以上に時間がかかります。
人との付き合いはもっとていねいにゆっくりしなければいけないと、節子に言われていたことを思い出します。
こうして昔のことを思い出しながら、友人一人ひとりの顔を思い出しながら、メールや手紙を書くことができるのは、幸せなことです。
節子がいたころは、なんであんなに急いで生きていたのだろうか。
そんなことを時々思いながら、今日もゆっくりと過ごしました。
食事を一緒にしている娘からは、いつももっとゆっくり食べないといけないと注意されていますが、なかなか直りません。
一度身についたスピード感は、そう簡単にはなおらないのです。
途中、近くの農産物直売所に行きました。
野菜を出している農家のみなさんがあたたかな豚汁をみんなに振る舞っていました。
私はいただきませんでしたが、来場した人たちに無料で振る舞っている農家の人たちがとても幸せそうでした。
時間がとてもゆっくりと流れているような気がしました。
平安な暮らしとは、こういうことなのでしょう。
夕方、北朝鮮が核実験をしたというニュースが流れていました。
北朝鮮の政府の人たちは、きっと幸せではないのでしょう。
何かできることがあればいいのですが、まったく思いつきません。
夕方から寒くなりました。
その上、また私にも衝撃的な電話がありました。
平安とは、いっときの幸せであって、平安な暮らしは望みうべきもないことかもしれません。。
いまの「いっとき」を大事にしなければいけません。
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