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2016/01/04

■広島の煙石事件の恐怖のメッセージ

私の新年は穏やかにあけました。
もっとも最近の世上の動きにはついていけずに、いささか「疎外感」を持ちながらの新年でしたが。
何事もないような平和な年賀状にも正直、いささかの違和感があるのですが、恐れや怒りを書かないではいられない人も数名いたのが、ささやかな救いにはなりました。
テレビからも、政治問題や社会問題を批判的に報道するものは見事といえるほどなくなっていますが、幸いにNHKのBSで、「映像の記録」が放映されていましたので、時々、それを見ていました。
この番組は昨年も再放映されたので観ていますが、何回観てもおぞましさが襲ってきます。

友人が、この番組に関して厳しいメールをくれました。

枢軸国側が勝っていたとしたらまるっきりかわってしまうような、連合国側にもあてはまるような批判を負けた側にだけしているだけで、心理的安定という根拠だけでいうならナショナリズムとかわらないものです。

私も同感です。
NHKは、昨年から「新・世紀の映像」を放映しだしていますが、それを見ていると、ますますそう感じます。
勝てば官軍なのですから、それは仕方がありませんが、私が不気味なのは、いまの日本の状況が、書籍などで読んだナチスドイツや軍国日本の1930年代にあまりに似ていることです。
いやすでに似ているどころか、そのものになってきているのかもしれません。
私たちの生活は、もはや取り囲まれているのかもしれません。

私たちを取り囲んでいるのは「何か」。
それは「えも知れぬ恐怖」かもしれません。
そうした「見えない恐怖」が、いまの日本を覆いだしています。
そして、その恐怖の中でみんな思考停止し、自らの小さな平和、小さな幸せ、小さな世界に閉じこもりだしています。

ほぼ1年前に、このブログで、広島の煙石事件のことを取り上げました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2014/12/post-0a5b.html
広島市の元アナウンサー煙石博さんが、銀行で客が置き忘れた現金66000円を盗んだとして、窃盗容疑で逮捕された事件です。
煙石さんは、確たる証拠もないまま、懲役1年、執行猶予3年の判決を受けているのです。
詳しくは次のサイトの記事をお読みください。
http://tocana.jp/2015/11/post_8070_entry.html

地元広島では、冤罪を疑う声が高まっているそうですが、私が住んでいる千葉県には、この事件の存在すら聞こえてきません。
現在、事件は上告中ですが、第二審の判決後、煙石さんはこう述べています。
「みなさんの支援もあり、3年間がんばってこれました。私に起こったことは他の人にも起こりうることです。こういうことは絶対にあってはならない。」

これを読んで、ナチ支持から反ナチ主義へと転じたマルティン・ニーメラー牧師の言葉を思い出しました。
これまでも何回か引用してきていますが、改めて全文を引用します。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者でなかったからだ。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。
私は社会民主主義者でなかったからだ。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は労働組合員でなかったからだ。
彼らがユダヤ人たちを連行したとき、私は声をあげなかった。
私はユダヤ人ではなかったからだ。
こうして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人として残っていなかった。
 
煙石さんが感じているように、煙石さんに起こったことは「他の人にも起こりうることです」。
そして、いつかそれが私たちの社会を覆いだすかもしれません。
いや、すでに広島だけではなく、他のところでも起こっているかもしれません。
ナチスドイツも、こうして社会が壊れていったのかもしれません。

政治は恐怖や恐れによって支えられている、とも言われます。
そして、現代の恐怖は、可視化された恐怖はなく、私たちが一緒になって創り上げている恐怖とも言われます。
そうした状況では、「権力」や「体制」「社会常識」に異を唱えることも勇気のいることです。
しかし、勇気をもって闘っている人にエールを送ることなら、できるでしょう。
そしてそれぞれが何ができるかを考え出せば、流れは変わるかもしれません。
ニーメラーの教訓をじっくりと噛みしめる年にしたいです。
そのためにも、多くの人にこの「煙石事件」の存在を知っていただきたいと思います。
周りの人にもこの事件のことを知らせてもらえるとうれしいです。
煙石博さんの無罪を勝ちとる会のホームページも、ぜひご覧ください。
http://enseki.noor.jp/

新年最初の記事は明るいことを書こうと思っていたのですが、どうも書けないまま4日になってしまったので、この記事を書かせてもらいました。
とても残念です。

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