■節子への挽歌3061:楽しいランチ
節子
15年ぶりではないかと思われる人と再会しました。
実はその人にも会いたくて、あるプロジェクトに参加することにしたのです。
15年ほど前に戻ったように、いろんな話ができました。
ほかにも2人ほど、同席した人がいますが、もう一人は、お名前は知っていて著書も読んでいるのですが、いつか会えるだろうと思っていた人です。
まあ、人は、会うべき人には会えるものです。
現世でなくとも、いつかは、ですが。
もう一人は、引き合わせてくれた事務局の人です。
15年ぶりの人とは、すぐに昔のように話が弾みました。
価値観や生きるスタイルは微妙に違うはずですが、どこかで認め合えるものがあるのです。
変わっていないなと、たぶんお互いに安心したように思います。
15年ほどの間隙は、もう存在しません。
15年ぶりではない、初対面の人が合気道の話をしてくれました。
合気道は、相手の重心に入り込んで、相手の力を抜くことが大切なのだそうです。
そうすれば、自然と相手は倒れてしまう。
それを聞きながら、そうか私は倒されてしまったのだと思いました。
相手の重心に入ったのが、私か節子かは迷うところですが、力を抜かれたのはたぶん私でしょう。
もしそうなら、私のほうがたぶん重心に入られたのでしょう。
正確に言えば、私が自らの重心に節子を入れてしまった。
これこそ関係性の極意かもしれません。
もちろん節子は、そんな極意など意識していたはずもありません。
ただ単に、そうした関係性が、生まれてしまったということです。
節子もまた、会うべき人だったのかもしれません。
いずれにしろ、入れる入れられるは、瑣末な表現の違いです。
倒されたままで人は生きられません。
新しい重心形成が始まるとしたら、そこから新しい生き方が始まる。
ようやく新しい生き方が見えてきて、重心も安定してきた時に、今度は重心にいた人が出て行ってしまう。
今度は、力が抜かれるのではなく、重心が抜かれてしまった。
再び私は倒れてしまったのかもしれません。
だから今はとても生きにくい、のかもしれません。
初対面の人がメールをくれました。
わたくしも面白く、楽しい時間でした。 みなさんの思想の通底音は一緒ですねえ。楽しいランチでした。 料理も、節子好みのフレンチで、私にもおいしかった。 節子とはこういう食事をしたことがあまりに少なかったのが悔やまれます。
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