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2016/01/21

■賞味期限切れ間近の食品の横流し事件に思うこと

CoCo壱番のカツ横流し事件を発端にして、他にもたくさんの廃棄食品が横流しされて、再び市場に乗ってしまっている事例が次々と報道されています。
何をいまさらと言いたい気分もありますが、不思議なのはこういう事件が起こると似たようなことが次々と記事になることです。
それはおそらく、そういう事実や状況を、業界の人たちは知っているからではないかと私には思えてなりません。
知っていてなぜ変えられないのか。
そこにこそ、問題の本質があると思うのです。
そう考えると、今回の横流し事件報道に関しても、「問題の捉え方」が違うのではないのか。
ダイコーだけを責めていいのか。
もっと奥深いものがあるのではないかと思うのです。

昨年、CoCo壱番屋の創業者の宗次徳二さんの講演をお聞きしました。
宗次さんは、道端の草を食べるほどの貧しさの中で育ったという自らの子ども時代のことを話されました。
それが実に心に響くもので、「CoCo壱番屋」に行かなければと思っていました。
食材や「食べるということ」を大切にしているお店だと思ったからです。
残念ながらまだ行っていないうちに、こんな「事件」が起きました。
そして、やはり行くのをやめることにしました。
悪いのは、CoCo壱番屋ではなくて、横流ししたダイコーではないか。
CoCo壱番屋はむしろ被害者ではないかと、多くの人は思っているのかもしれません。
私は、そうは考えていません。
CoCo壱番屋にも大きな責任がる。
それはまた次回書くとして、今回は大量の食品ロス問題について書こうと思います。
それは、私の問題でもあるからです。

私は、お金を無駄にすることには大して問題を感じませんが、食材を無駄にすることはどうしても許せません。
お金は単なる「手段的なもの」であって、日銀が印刷した無価値のものですが、食材は多くの人たちが自然の恩恵をもらいながら汗を流して創り上げてきた「価値あるもの」です。
お金を払って自分のものにしたから廃棄してもいいだろうということにはならないと思います。
ですから、賞味期限切れで食品を廃棄することを許容している、食品産業に関わる人たちが理解できないのです。
彼らは、自らが扱っている商品への愛着や誇りはないのでしょうか。
賞味期限切れ近くになると消費者は買ってくれないので廃棄するしかないのかもしれません。
しかし、そこで納得していい問題ではないでしょう。

もし私が廃棄を頼まれた産廃処理業者だとしたら、まだ食べられるたくさんの食材を前に本当に捨てられるだろうかと考えてしまいます。
何とか無駄にしない方法はないだろうか、と考えるのは、人として当然のことではないかとさえ思います。
もちろん、だからと言って、それを横流ししていいということではありません。
読み違ってはほしくありません。念のため。

日本での大量の食品ロスは問題にはなりますが、一向に解消されません。
なぜなのか。
そこにこそ議論の焦点を向けなければいけないのではないか。
大量の食品ロスを出しても、利益が上がる事業構造に問題があります。
いやむしろ大量の食品ロスを出すことによって、利益を極大化させる構造になっているのかもしれません。
そこを見直すべきではないかと思います。

食品ロスの発生は、いうまでもなく過剰生産の結果です。
機会ロスをなくすために、過剰供給しているわけでしょうが、その結果、大切な食材が廃棄させられることになる。
どこかおかしくはないでしょうか。
事業を行う企業は利益を上げるかもしれませんが、食材を廃棄してしまうことは社会にとっては明らかに損失です。
今回の事件で明らかになったのは、日本の食産業と食文化の欠陥ではないかと思います。
供給側もお粗末ならば、消費者側もお粗末です。
食品が、まさに「餌」になっているような気がします。
和食文化が世界遺産になって騒いでいる場合ではないでしょう。
和食文化の真髄を思い出したいものです。

食品ロスを減らす方法はいくらでもあります。
過剰生産を防ぐためには、たとえばトヨタによって広げられたカンバン方式、ジャストインタイムシステムが参考になります。
お客様の注文に合わせて、食材を仕入れ、過剰な食材在庫を持たない、過剰な供給はしないという発想です。
食関連でも、そうした発想で事業に取り組んでいるところはあります。
それが広がれば、膨大な量の食材や食品の廃棄処分はなくなるでしょう。
しかし、残念ながら時代はそれとは正反対の方を向いています。

そして、因果関係はわかりませんが、そうした食品ロス体質の食産業を支えているのが、利便性を追求する賞味期限意識の高い消費者です。
食べていいかどうかさえ教えてもらわないといけなくなった「消費者」たちが、食品ロスを支えているのではないかと思います。
日本人の食文化はこれでいいのか。

みのりフーズの経営者の方が、少しくらい古いものでも洗って食べた世代だと話していましたが、私はその人にとても共感しています。
私は賞味期限切れのものも、もちろん捨てずに食べています。
食材は買った以上は、きちんと食べる責任があるからです。
外食産業の経営者には、そういう責任感を持ってほしいと思います。

いずれにしろ、現在のような食品ロス状況は、変えていかなければいけません。
どうしたら変えられるか、そういう視点で、今回の事件を活かしていきたいものです。
私も、外食も含めて、食については、改めて無駄を避けるようにするつもりです。

長い割には、何か書ききれなかった気がします。
やはり記事の書き直しは、難しいです。

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