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2016年2月

2016/02/29

■節子への挽歌3096:声の相性

節子
あっという間に2月も終わりです。
今年は少し前を向いて生きようと思っていたのですが、年初からいろいろあって、出足をくじかれてしまい、結果的に時間に追い立てられるように過ごしています。
かといって、何かをやっているわけでもなく、ただ精神的な余裕がないだけなのです。
体勢を立て直そうと思うと、そこでまた新しい問題が飛び込んでくる。
それも気が萎えるようなことが少なくありません。
そして気がついたらもう2月も終わりです。

今日はいささかめげていたので、録画していた「日本仏教のあゆみ」の最終回を見なおしました。
内容が問題なのではありません。
もうこの番組は見ていますから。
このシリーズは、東洋大学学長の竹村牧男さんが解説してくれているのですが、竹村さんの話しぶりが、とても気持ちを和らげ、元気をもたらしてくれるのです。
私は竹村さんとは全く面識もありませんし、どんな人かも知りません。
しかし、その表情や話し方、そしてその声が、ともかく心を平安にしてくれるのです。

なぜそんなことを思いついたかと言えば、実は一昨日のフォーラムに参加してくれていた、澤内隆さんという人から、私の声がとても癒される声だとしつこいくらい言われたのです。
初対面の人ですが、とても不思議な人で、その話には圧倒されたのですが、なぜか私の声が気にいり、隣にいた若い人にまで、同意を強制していました。
その時に、人の声の相性というのがあるのだと気づきました。
澤内さんには、きっと私の声が合ったのでしょう。
相性の問題だとしたら、私の声が耳障りの人もきっといるわけですが。

私は、節子の声が好きでした。
節子はコーラスグループに入っていましたが、私から言えば、ちょっと音痴でしたし、歌の時の声は必ずしもきれいではありませんでした。
しかし、普段話す声は、私は大好きでした。
そして、節子も私の声が好きでした。
いまから思えば、私たちの声の相性はとてもよかったと思います。
だからふたりで話し合っているだけで、気持ちが和み、幸せだったのです。
「声の相性」はとても大切なのだと、気づきました。
しかし、その「心を和ませてくれる声」を聴くことは、私にはもうないのです。
声だけは、誰も変わりをしてくれません。
節子がいなくなってからの不調は、あの声が聞けないからかもしれません。

そういえば、もう20年近く前ですが、「生きがいの創造」の著者の飯田史彦さんからも同じようなことを言われたことがあります。
飯田さんはどうされているでしょうか。
飯田さんとも会いたくなってきました。

いろんな人に会いたくなるということは、そろそろ時期が近づいてきたということでしょうか。
まあ、それも良しですが、3年ほど待ってほしいという気もします。
折角、新しいことをやろうという気になってきているのですから。
でもまあ、節子の時のことを思えば、生命を司る神様は、そんな事情など斟酌してくれないようです。
困ったものです。

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2016/02/28

■節子への挽歌3095:琵琶湖の小鮎の佃煮

節子
まるでブラックフォールに引き込まれるように、悪夢はつづいています。
今度は節子も知っている友人からの思いもしなかった知らせです。
いったいどうなっているのでしょうか。
そうしたなかで、いろんな相談事に今日も振り回されました。
こんな言い方は誠実ではありませんが。

先日、久しぶりにメールしてきた滋賀の松井さんが、自分のところでつくった「琵琶湖の小鮎の佃煮」を送ってきてくれました。
節子はこれが好物でした。
生家の近くの琵琶湖畔のお店で売っている、小鮎の佃煮も買ってきたことがありますが、やはり塩津の魚助の小鮎がおいしいと言っていました。
そんなことを思い出しました。
早速、節子にもお供えしました。
今日の数少ないうれしいことです。

明日は、少しゆっくりと休みたいです。

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■「みんなの社会教育ってなんだろう」

昨日、「みんなの社会教育ってなんだろう」というテーマに、ミニ公開フォーラムを開催しました。
30人ほどの人が集まりました。
話し合いのベースをつくるために、2人の友人にお願いして、パネルディスカッション的な話し合いをしました。
その冒頭と最後に、私が話したことを、少し補足して書いておきます。
「みんなの社会教育」に込める私の思いをわかってもらえるとうれしいです。

これまでの社会教育は、統治視点からの行政主導の「与える社会教育・与えられる社会教育」、「国民の意識を高める(国民教化)ための教育型の活動」が中心でした。
しかし、社会がここまで成熟し、人々の意識や生き方が変わってきている中で、そろそろそうしたあり方を見直し、むしろ方向性を逆転させて、私たち生活者一人ひとりが主役になって、「お互いに学び合う社会教育」「まちや社会を自分たちで育てていく社会創造型の活動」にしていく段階に来ているのではないかと思います。
それは同時に、私たち一人ひとりの社会性や市民性を高めていくことでもあります。

「社会教育」というと、かなり固いイメージがあって、どうしても行政がやることと思われがちです。
今回の集まりも、NPO関係やまちづくりに関わっている人たちにも案内しましたが、自分たちとはあんまり関係ない世界の話だという反応が少なくありませんでした。
しかし、そうではないのではないか、と私は思っています。
NPO活動の意義は、個別課題の解決はもちろんですが、同時に参加者の市民性や社会性を高めることだと言われています。
もしそうならば、NPO活動やボランティア活動もまた、社会教育活動と言ってもいい。
まちづくりにとっても、主役はまちをつくっている住民です。
施設や道路や制度をつくるのが、まちづくりだった時代はもう終わっています。
だとしたら、その住民たちの意識や生き方、言い方を変えれば、社会性や市民性が一番大切です。
そこでも社会教育は重要なテーマになるはずです。

さまざまな社会問題が広がっていて、社会の劣化ということが問題になってきているいま、改めて社会教育ってなんだろうと考えてみることはとても大切なような気がします。

なぜ、「社会教育」という言葉にこだわるのか。
それは、改めて「社会」や「教育」という概念が重要になってきていると思うからです。
いずれもあまりにわかりきった言葉なのですが、あまりしっかりと考える人はいません。
私は、社会を「人のつながり」と考え、教育を「自分の発見」と捉えています。
社会は、そこにあるものではなく、自分たちで育てていくもの。
教育は、教えられることではなく、自分のちから(いのち、あるいは価値)を育てること。
そう考えています。
その視点から言えば、いまの学校は「反教育」ですし、いまの社会は「反社会」です。
(ここまでは今回は話しませんでしたが)

社会教育にとって、社会こそが学びのすべてです。
そして、大人も子供も含めて、私たち一人ひとりが主役です。
言い換えれば、この社会をつくっている私たち一人ひとりの責務です。
しかも、それは一人では完結しません。
学びとは、人とのつながり、自然とのつながり、過去や未来とのつながりのなかで行われるからです。
学びは必然的に「学び合い」になり、人のつながりを育て、まちを育てていくはずです。
社会教育を、政府や専門家に任せるのではなく、私たちが主役になるようにスキームを変えていくことが大切です。
社会教育を創りだす責任は、私たちにあるのです。

そういう視点で、改めて「社会教育」をデザインしなおしていきたいと思っています。
そうしたことを進めていくためにも、実践者のゆるやかなネットワーク、学び合いのネットワークを育てていきたいのです。
もちろん、これまでのスタイルの「社会教育」を否定する必要はありません。
そうした人たちとも、役割分担していくことが大事です。
しかし、みんな対等な立場でなければいけません。
その基本だけは、私には譲れないところですが、そこがまた「みんなの活動」を進めていくときの最大の難事なのです。

こうした思いに賛同してくれる人がいたら、ぜひともご連絡ください。
一緒にゆるやかな活動に取り組めればと思います。


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2016/02/27

■節子への挽歌3094:呪いを解きたいです

節子
昨夜は、小宮山さんのパーティに参加してよかったです。
たまたま隣席だった人と話がとても合ったのです。
とてもいい出会いで、きっと何かが始まりそうです。

とまあ、そこまではよかったのですが、その後が大変でした。
なぜかくもつらいことばかり起こるのでしょうか。
電話がかかってきて、パーティを途中で抜け出しました。
急な相談があるというのです。
公開するのは憚れますのでやめますが、一気に疲れが襲ってきました。
精神的に疲れ切って、帰宅して、倒れるように寝てしまいました。

朝起きて、メールを開きました。
またまた驚く話が届いていました。
元気になっていたと思っていた友人が、またがんで手術なのだそうです。
幸いなことに転移ではなく、重複がんだそうですが。
私がかなり疲労しきってきているので、その人に応援を頼みたい気分になっていたところだったのです。

今年はなんでこうも悪いことばかり起こるのでしょうか。
呪われているのではないかと思いたくなるほどです。

今日は、しかし、社会教育のパラダイム転回を呼びかけるミニフォーラムです。
元気を出さないと呼びかけできなくなります。
頑張って、これから出かけます。
節子の応援が、心底ほしいです。

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2016/02/26

■節子への挽歌3093:フェイスブックのコミュニティ

節子
フェイスブックというのは節子は知らないでしょうが、面白いメディアです。
人をつなげるメディアやツールは、人の世界を規定していきます。
私にとっての、最大のコミュニケーションメディアは、以前は湯島という場所でした。
そこで会う人たちが、私の世界の中心を占めだしました。

次に、もう一つの中心になったのが、電子メールです。
電子メールをやっている人とやっていない人とでは、交流の頻度や共有情報が圧倒的に変わっていきました。
時間軸さえも、かなり共有できるようになります。
そのため、私の世界を構成する友人知人も、その影響を受けてしまって、変化しました。
メールをやっていないと、いつの間にか疎遠になりがちで、そのうち、交流も途絶えてしまった人もいます。

最近は、私の場合、なんといってもフェイスブックです。
フェイスブックの効用は実に大きいです。
ゆるやかなつながりと、さりげない世界の共有ができるのです。
メールよりも、主体的に関われますので、負担はほとんどありません。
最近は、フェイスブックでなんとなく世界を共有している人が、私の世界の中で大きな比重を締め出しています。
なかには、一度もあったことのない人もいますが、不思議なもので、そういう人ともいつか必ず会えるような気がします。
そして、会った時には、もはや初対面の気分ではなく、旧知の友人のような気さえするのです。

節子がいなくなってから、私の世界はかなりヴァーチャルになってきました。
しかし、それは現実に会うことが伴っているから、成り立っているのかもしれません。
節子とは、いまのところ、この現世では会うことはないでしょう。
それがとても残念です。

今日はめずらしく、小宮山さんが主催する、多彩な人たちの交流会です。
こういうのはあんまり気が進まない上に、会場がお台場のヒルトンホテルです。
最近は、そういう世界には、どうも違和感が強くなってきています。
気は重いですが、小宮山さんにはお世話になっているので、顔を出そうと思います。
もしかしたら、会いたかった人に会えるかもしれません。

でもまあ、現世での交流世界は、そろそろ閉じだしたほうがいいのかもしれません。
とりわけヒルトンに集まるような人との縁は、補足していこうと思っています。
小宮山さんには内緒ですが。

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■保育園をつくればいいのか

今朝のテレビで知ったのですが、ネットで「保育園落ちた日本死ね!!!」投稿が話題になっているようです。
投稿者の気持はわかりますし、それへの反応のいくつかも読みましたが、共感できるものも少なくありません。
しかし、私は、そもそも「保育園依存の社会のあり方」に大きな疑問を持っています。
保育園をつくればいいのかということです。
問題の立て方が間違っているように思います。

これは保育園に限ったことではありません。
福祉施設もそうですし、病院もそうですし、働く場もそうです。
みんな問題を、誰かに丸投げした他者依存で、しかもハードな施設や制度に依存しています。
自分の生き方を問い質し、当事者たちが自分たちで解決するという発想は失われてきているのでしょうか。
要するに、最近の多くの人たちは、問題が起こればそれを誰かのせいにし、お上に解決を求めるだけのような気がします。
そこでは、大きな目的が見失われています。

保育とは何か、ではなく、自分の生活を維持するための保育園が必要だと言っているようにしか、私には聞こえません。
そこまでして、労働者や消費者になりたがる人たちの気持ちがわかりません。
そうやって資本の活動の手段になってしまう。
働かないとお金が得られず生活が成り立たないと言われるかもしれませんが、その発想こそが主客転倒しているように思えます。
まずは自らの生き方をしっかりと考え、何を大切にしたいかを考えるべきでしょう。

異色の経営学者の長老、ミンツバーグは近著「私たちはどこまで資本主義に従うのか」でこう書いています。

企業が法人として法律上の「人間」の地位を得る一方で、人間は企業にとっての「資源」になった。 あなたは「人的資源」でありたいだろうか。 私はいやだ。私は人間だ。

私も人間でありたいと思っています。
それにしても「死ね!」とは穏やかではありません。
以前、今回と同じような主旨で、雇用の場を増やすことに依存する考えに異論を書いたことがありますが、その時にも私あてに「死ね!」という物騒なメールが届きました。
そういう言葉遣いをする人は、もう人間ではなくなっているのだろうなと思います。
部品になった人たちは、死ねませんから、死ねという言葉を着やすく使うのでしょうね。
しかし、部品には子供は育てられないでしょう。
とても哀しい時代です。

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■馳文科相の思い上がり

馳文科相が23日の記者会見で、「私が学長であったとしたら、国旗掲揚、国歌斉唱を厳粛のうちに取り扱うと思っている」と話したそうです。
今日の朝日新聞の天声人語で知りました。
岐阜大の学長が今春の式で国歌斉唱をしない方針を示したことへの批判のようです。
馳さんが学長になったら、そうしたらいいでしょうが、他の学長を批判するのは、その見識を疑わざるを得ません。
思い上がりとしか思えません。
私の基準では、文科相にはふさわしくない発想です。
せめて憲法をきちんと読んでほしいです。

むかし読んだ文章を思い出しました。
思い出して読み直しました。
いささか恥をさらすようですが、もし気が向いたら読んでください。
「日の丸と君が代」という記事です。
http://homepage2.nifty.com/CWS/katsudoukiroku3.htm#3132

馳さんのような人が、大学の学長にならないことを願いますが、楽観はできません。
社会は教育の場から壊れだしていきます。
教育は、まさに両刃の剣です。
ですから知性のある人に担当してほしいです。

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2016/02/25

■節子への挽歌3092:さびしくもあり、楽しくもある

節子
昨日、銀座の画廊で会った篠崎さんからメールが来ました。
篠崎さんの了解は得ていませんが、こんなことが書かれていました。

日頃孤独に過ごしていますので、個展で大勢に対応すると楽しい反面、戸惑いを感じます。

この気分はよくわかります。
篠崎さんと私とでは、違いはありますが、この感覚は共有しているような気がします。

ちなみに篠崎さんは決して「孤独」ではありません。
「孤高」というべきでしょう。
私と違って、強さがある。
昨日も、もういつ死んでもいいというようなことを言っていましたが、それも孤独でない証ではないかと思います。
言い方を変えれば、篠崎さんには世界が見えてしまったのではないかと思います。
私が勝手に推測しているだけではありません。
昨日、篠崎さんと話していて、伝わってきたことなのです。
いわばある意味での「さとりへの到達」です。
言い淀みますが、私にも最近、少しそんな感じがあるのです。

昨日、篠崎さんと話して一点だけ見解が違ったことがあります。
篠崎さんは、自らの死は体験できないし、死んだ自分も見ることはできないと言いました。
それに対して、私はたぶん死んだ自分を見るだろうと思うと言いました。
実際にそう確信しているのです。
来世を確信していますから、死んだ自分を見ることができると思っているのです。
おそらく節子はいまもなお、私を見ているでしょう。
だとしたら、私もまた、死後、現世を見ることができるでしょう。
もしかしたら、自らの死も体験できるかもしれません。

死後の私が見る現世とはどう見えるのか。
とても興味があります。
いま私が見ているような見え方ではないことは間違いありません。
でもおそらく見えるような気がしています。
節子が見ているように、です。

先祖に見守られているという感覚は、とても大切です。
お天道様が見ているという時の「お天道様」には、祖先も入っているのかもしれません。
仏教は、そうした感覚を意識づけしてくれました。
その感覚が持続してれば、孤独などという思いは生まれないでしょう。
宗教の大きな効用は、人の命をつないでいくことだろうと思います。
個人の死は、死ではなくなるのです。

愛する人や大切な人を亡くした人は、そういう思いを持てるかもしれません。
少なくとも私は、節子がいまなお私を見ていると思えるのです。

昨日の篠崎さんがあんなに元気で、透明だったのも、そこにたどり着いたからかもしれません。
昨日の篠崎さんの話は、すべてにおいて、肯定的でした。
前にもまして、ますますさわやかでした。

人の関係は、実に不思議です。
長年付き合ってもわかりあえない人もいれば、瞬時にしてわかりあえる人もいる。
この数日、私も友人に関して、戸惑うことの多い数日でした。
さびしくもあり、楽しくもある。
それが友人というか、人とのつながりなのでしょうか。

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2016/02/24

■節子への挽歌3091:「父は空 母は大地」原画展で篠崎さんに会いました

節子
今日は、久しぶりに銀座のギャラリーで開催している篠崎さんの個展に行ってきました。
篠崎さんの最新の絵本の原画展です。
作品を見せてもらうのもさることながら、篠崎さんに会いたかったのです。
死に咲きさんは、節子は残念ながら知りません。
節子が逝ってしまった後に知り合った人です。
心のきれいさにおいてはたぶん人後に落ちない人です。
私よりも、ほんの少しだけ年下ですが、とにかく話していて楽しい人です。

数年前に、篠崎さんは同居されていた母上を見送りました。
私は、それがとても気になっていて、篠崎さんに会いたかったのです。
訃報を聞いたのですが、私は何もできませんでした。
篠崎さんが、お母様をどれほど大事にしていたか知っていたからです。

たまたま最近、銀座で個展をやることを知って、篠崎さんがギャラリーにいる時間にお伺いしたのです。
とてもお元気そうでした。
それも、以前よりもぐっと若返ったように見えるほど、でした。
7か月ほどかけて集中的に描き込んだという20枚ほどの作品のすべてが、篠崎さんのいまのすべてを語っていました。
篠崎さんは元気であるだけでなく、何かを吹っ切ったような気がしました。

死について、少し話し合いました。
思いをかなり共感できる気がしました。
そして話は「荘子」になりました。
老荘思想の、あの「荘子」です。

荘子の思想が象徴される話としては、「胡蝶の夢」が有名です。
「胡蝶の夢」についてはこの挽歌でも2回にわたって書いたことがあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/09/post-9d6f.html
その頃といまの私の心境とは大きく変わっていますが、いまのほうがたぶん荘子の無為自然の考えに近いでしょう。
朝起きて、空が青かったら、予定をすべて変えてしまう。
そういう意味での主体性も、いまのほうが理解できています。

篠崎さんとは、そんな話を小一時間させてもらいました。
篠崎さんのファンは多いようで、あまり篠崎さんを独占してはいけないので、話を切り上げましたが、またいつかゆっくり話そうということになりました。

篠崎さんの、透明な笑顔にお会いできて、とても元気が出ました。
篠崎さんの原画展は27日まで開催しています。銀座4丁目の交差点のすぐ近くです。
お時間があればぜひお立ち寄りください。
http://www.galleryokabe.co.jp/16-2-3info.html
篠崎さんと話すと、元気が出ますよ。

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■節子への挽歌3090:暇で暇で仕方がない

節子
今日も寒いです。
朝からいろんなことがありました。
少しずつですが、ようやく今年もいい方向に動き出した気がします。
まわりが元気になると私も元気になっていけそうです。

それにしても、最近はみんな忙しそうです。
私の体験では、忙しい時ほど、何もしていない。
こんなことを言うと、叱られそうですが、そんな気がしてなりません。

何もすることがなくて暇なこともあれば、忙しすぎて暇なこともある。
私のこの考えは、なかなかほかの人にはわかってもらえませんが、私はいつも気分的には「暇で暇で仕方がない」のです。
だからと言って、時間が余っているわけではありません。
むしろ時間はもう少し欲しいのですが、大切なことや充実感があることが見つけられずにいるのです。
趣味に没頭できればいいのですが、趣味の世界もいまは全くありません。
社会的に役立つことに熱中できれば、それも幸せです。
しかし、そもそも最近は、私には「社会」が見えなくなってきてしまっています。
心身を忘れるほどに熱中できるものが見つけられないでいます。

何かに没頭できないというのは、退屈な生き方です。
忙しさと没頭は、これもまったく逆の概念でしょう。

うまく言えませんが、ともかく私はいま、人生に退屈していると言うべきでしょうか。
ともかく「暇で暇で仕方がない」。
大切だと思えることがないのです。
節子がいなくなって、これが一番の変化です。
どうやってここから抜け出せるか。
でも、少しずつちょっと先が見えてきたような気がします。
そろそろ暇な生き方からは抜け出たいものです。

今日も数名の人たちに会います。
私の生き方を変えてくれる人に出会えるでしょうか。
出会えるといいのですが。

そろそろ出かけます。

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2016/02/23

■節子への挽歌3089:信の純粋性と主伴無礙

節子
今日も寒い日になりました。
テレビの「こころの時代」で木村清孝さんの「華厳経」の話を再放映しています。
6回シリーズの5回目を見ました。
そこで、厳密一致ということを知りました。
真言宗と華厳経とは融和性があり、明恵はそれを融和させたのだそうです。
たしかに、真言も華厳も、大日如来を基本においていますので、納得できる話です。

今回面白かったのは、さらに華厳経の明恵と浄土宗の法然との類似性について、木村さんが「信の純粋性」ということを話されていたことです。
いくら念仏を唱えても、いくら仏法に通じても、仏法への絶対的信頼がなければ、意味がないということを、明恵も法然も説いているのだそうです。

真言密教も浄土宗も、華厳経も、みんな通じている。
その話がとても面白かったです。
つまりみんな同じところに行くのです。
私は仏法にはまったくの無見識な存在ですが、どこかに親しみを感じます。
寺院に行くと、そこが何宗であろうと、なんとなく「安堵」します。
それは、やはり「絶対的な信頼」の対象にできるものが、そこにあるからなのでしょう。
もちろん、信頼するかどうかは、自分次第です。
しかし、その気になれば、信頼できるものがそこにあるというのは、とても大切なことなのです。

木村さんは、もうひとつとても示唆に富む話をしてくれました。
「主伴無礙(しゆばんむげ)」ということです。
主伴、つまり主役と伴者は、状況によって替わるものであり、そこには絶対的な壁などない、というのです。
木村さんは、家族を例にとって説明してくれます。
家庭の主人という言葉があるように、私たちは、家族の柱(主人)は父親というように固定的に捉えてしまいがちですが、状況によって、主と伴は入れ替わっていくというのです。
たとえば、母親がお料理を作って、みんなに「はい。今日はこれですよ。こんなご馳走ですよ」と出す時には何と言っても母親が主人公。また食事をする中で、子どもが、「今日、学校でこんな面白いことがあったよ」と話をすると、父親も母親もしっかりと耳をそばだてて聞く。その時には子どもが主人公なんだと、木村さんは説明します。
それこそが、人間同士の、あるいは物事の本来的な関わり方なんだというのです。
こうした物事のありよう、関わり方を華厳経では、「事事無礙」と言っていますが、木村さんがやさしく話してくれると、難しい華厳経が、なんとなくわかったような気になってきます。

いずれにしろ、事事無礙のなかでの、信の純粋性という言葉がとても心に響きました。
まだまだ私は純粋さが不足しています。
しかし、節子に対する信は、かなり自信がありました。
節子も、そうだったはずです。
それがきっと、私の心身の平安を支えてくれていたのだろうと、最近思います。
絶対的なものが不在になるとどうしても相対的な関係のなかで振り回されがちです。
主伴無礙を、もっと意識しなければいけません。

 

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■ちょっと知的なカフェサロン「アーユルヴェーダってなんだろう」のお誘い

今年2回目のちょっと知的なカフェサロンのご案内です。
今回は、「アーユルヴェーダ」をテーマにしました。
ゲストは、サトヴィック アーユルヴェーダスクールを主宰している佐藤眞紀子さんです。
http://satvik.jp/aboutus/

アーユルヴェーダはインド古来の伝統的医学ですが、私の関心は、その基本にある考え方です。
心身のみならず環境までも含めた、ホリスティックな生命観に心惹かれます。
「アーユルヴェーダな生き方」は、生命を輝かして生きることにつながるような気がします。

私が、佐藤眞紀子さんと出会ったのはもう13年前になります。
当時、統合医療に関心を持っていたこともあり、解説書を読んだり、アーユルヴェーダ研究者の講演を聞いたりしていました。
しかし実際に活動をしている人に会ったのは初めてでした。
佐藤眞紀子さんがアーユルヴェーダへの思いを語る「熱さ」に圧倒されました。
まさに「アーユルヴェーダな生き方」が示唆されているようでした。
その後、佐藤眞紀子さんのご紹介で、インドのアーユルヴェーダの医師にもお会いできました。

その後、佐藤眞紀子さんは活動を深められ、インドと日本を行き来しながら、アーユルヴェーダの普及と実践に取り組まれています。
最近、私もお会いしていないのですが、いまこそ「アーユルヴェーダな生き方」を学ぶことが必要ではないかと思い、眞紀子さんにお話をしてもらうことにしました。

きっと新しい世界が開けてくると思います。
ぜひ多くのみなさんの参加をお待ちします。

○日時:2016年3月5日(土曜日)午後4時~6時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○テーマ:「アーユルヴェーダってなんだろう」
○問題提起者:佐藤眞紀子さん(Satvik代表:アーユルヴェーダ研究者)
○スタイル:30~40分ほどお話していただいた後、みんなで話し合う。
○会費:500円

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■節子への挽歌3088:鮒寿しの松井さん

節子
久しぶりに滋賀の松井さんからメールが来ました。
琵琶湖の湖北で、鮒寿しのお店をやっている松井さんです。
近江の鮒寿しは有名ですが、私はとても苦手です。
節子の両親から、めずらしいからと言って、鮒寿しを出してもらったこともありますが、歯が立ちませんでした。
節子の闘病中も、鮒寿しにチャレンジしましたが、節子も不得手でした。

節子が亡くなってからしばらくして、節子の訃報を知って、松井さんは突然わが家にやってきました。
滋賀からわざわざ来てくれたのです。
松井さんは節子の遠縁ですが、さほどお付き合いがあったわけではありません。
しかしそこから私もお付き合いが始まり、一度、ご自宅を訪問させてもらいました。
その時には、もうお店は閉まっていたのですが、わざわざお店を開いてくれて、松井さん自らが調理してくれました。
私の記憶力はかなりいい加減ですから、間違っているかもしれません。
鮒寿しも以前より食べやすくなってきています。
特に松井さんのつくる鮒寿しは食べやすいと評判のようです。
上野の松坂屋で松井さんが実演販売をしに来ていたところに行って、いただいた鮒寿しは私も食べられました。
しかし、松井さんのつくる「鯖寿し」は、とてもおいしく、私も大好きです。
松井さんは、職人でもあるので、いろいろと工夫しているようで、ファンも少なくないようです。

最近私は滋賀に行っていないので、会う機会もなくなってしまいました。
その松井さんから、突然のメールです。
最近悪いことばかり起こるので、ドキッとしてメールを開きました。
悪いお知らせではありませんでした。
ネットを見ていて、ふと、私たちのことを思い出してくれたのです。
そして、私のホームページを読んで懐かしくなり、メールをくださったそうです。
とてもうれしい話です。

さらにうれしいことが書いてありました。

うまく言えませんが、今まで私は自分の事ばかり考えて生きて来たように思います。
勝手な話ですが、自分に何かできないかを今は考えています。

松井さんとは何回か話し合ったことがありますが、決して、自分のことばかり考えて生きている人ではありません。
いろんなことを考えている人のように思っています。
たぶん、「自分に何かできないかを今は考えています」というようなことをいう人は、実際にもういろんなことをやっているのです。
やっているからこそ、そう思うのです。

松井さんは私よりもずっと若い世代で、夢を持っています。
その夢はどうなったのか。
また松井さんに会いたくなりました。

松井さんのお店は、滋賀県湖北の塩津にあります。
国道8号線沿いだったと思いますが、もし近くを通ったらお立ち寄りください。
鮒寿し魚助といいます。
http://www.uosuke.jp/index.html
サイトを見てもらうとわかりますが、通販もやっています。
ごひいきにしていただけると嬉しいです。
節子もきっと喜ぶでしょう。

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2016/02/22

■節子への挽歌3087:人は決して孤独ではない

節子
湯島のミニシクラメンが咲きだしました。
まったくと言っていいほど手入れをしていないのですが、昨年から咲き出しました。
唯一心がけているのは、その存在を気にしているだけです。
植物も、しっかりと周りの期待に応えてくれるものです。

湯島のメダカも元気です。
芝エビとの共棲のおかげで、水槽は掃除をしなくてもきれいです。
一時期、水草が多くて、メダカを死なせてしまいましたが、最近はバランスが取れているようで、とても元気です。
オフィスに来たら、できるだけメダカにも声をかけるようにしています。

こうして考えると、人は決して孤独ではありません。
声をかけるべき相手はいくらでもいるのです。
そしてしっかりと声をかければ、すべての存在はしっかりと声を返してくれるのです。
それが聞こえるかどうかは、自分の意識次第です。
人は孤独だとか、孤立社会だとかいうマスコミ報道にまどわされてはいけません。
人は決して孤独ではないのです。

いまは新潟のチューリップも部屋を飾ってくれています。
金田さんが送ってくださったものを少し持ってきたのです。
これだけでも部屋の雰囲気はなごみます。

今日はめずらしく、湯島で一人で2時間ほど過ごしました。
窓の外で進んでいる近くの建築工事現場を見ているのも、楽しいものです。
世界は生きている。
そう思うと、それこそ退屈はしません。
私は時々、かなり退屈してしまいますが、これも問題は自分にあるのでしょう。

今日も寒い日で、窓の外は灰色の冬です。
空が青いか灰色かで、世界の風景は一変します。
しかし、一番の問題は、自分の気持ちかもしれません。
空の色に振り回されないように、自らをしっかり持たなければいけません。

今日は早く帰ろうと思います。
やりたいことをいろいろと思いつきだしてきましたので。
節子がいなくなったので、大忙しです。

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■カフェサロン「人間と道具、あるいは人間とはなんだろう」の報告

昨日のカフェサロン「人間と道具、あるいは人間とはなんだろう」は、参加者6人のゆったりした集まりになりました。
話題提供者の小宮山さんは、国際箸学会の理事長でもありますが、箸のことを考え抜いているうちに、人間と道具とは切り離せないものだということにたどりついたのです。
小宮山さんは、人間とは道具がないと生きていけないものと考えているようです。
では、そういう意味での道具とは何なのか。
そして、なぜ道具は人間にとって不可欠なのか。
道具の効用はいったい何なのか。
そういうことを考えると、いろんな問題が見えてくるはずです。
とまあ、そんなサロンを想定していましたが、そういう話になったようでならなかったような気もしますが、しかしとても知的なサロンになったことは間違いありません。

参加者の深津さんが、ウィキペディアの「道具」の定義の最初にあるのが、「仏道修行の用具」だと教えてくれました。
今まで気づかなかったのですが、「道具」に「道」という文字がつかわれていることの意味が少しわかりました。
これには深い意味がありそうです。
人間の指が道具になる「咫(あた)」とか大工さんの常備道具だった「スコヤ」という話も出ました。
私は、その言葉自体を知りませんでしたが、道具を考える大切な視点がありそうです。

本来、道具は人間の手段だったのに、いまや人間が道具の手段になってしまったのではないかという話も出ました。
実は私が小宮山さんの話に関心を持ったのは、道具作りの好きな小宮山さんでさえ、そう思っているのだと感じたからです。
「人間とは道具がないと生きていけない」と考えるということはそういうことを含意しています。
私は、全くそうは思っていないのです。

小宮山さんはぶんぶんゴマの話も、実演付きでやってくれました。
ぶんぶんゴマから学ぶことも大きいです。

以上は話のほんの一部ですが、サロンらしいサロンでした。

ところで、このサロンの案内の時に、人間だけがやっている行動の話を書きました。
それについて補足しておきます。
ある本で読んだのですが、チンパンジーの認知に関する世界的な権威の一人、マイケル・トマセロは、「2頭のチンパンジーが丸太を一緒に運ぶところを見ることなどないだろう」と言ったそうです。
その話を紹介している道徳心理学者のジョナサン・ハイトは、その話を聞いて、人間がほかの生物と違うのは、そういう「意図の共有」ができることだと言っています。
私は、それを読んで、道具の本質は「意図の共有」にあると思いました。
昨日のサロンでも最後にその周辺の話になりましたが、残念ながら時間切れでした。
この話は、コミュニケーションの問題につながります。
このあたりはいつかまたサロンをしたいと思います。


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2016/02/21

■節子への挽歌3086:人はみな「財産家」

節子
鈴木さんが、エマーソンのこんな言葉を教えてくれました。

「先行き知れぬ人生航路にあって、何よりも心強い支えとなるのは、 人と人の結びつきではないでしょうか。 互いに相手をいたわり合う気持ちこそ、 何にもかえがたい心の財産ではないでしょうか」

鈴木さんは、「人と結びつくこと」「相手をいたわる気持ちを持つこと」がそのまま「支え合う」ことにつながるのかもしれないと書いてきました。
「人と結びつくこと」と「相手をいたわる気持ちを持つこと」とは、私は同じことだと思いますが、それは同時にまた、「支え合うこと」でもあるわけです。
私にとっては、それを無条件に保証してくれた節子は「何よりも心強い支え」だったわけです。
ですから、それがいなくなった後は、支えがなくなったようになってしまったわけです。
それで、いささか頼りない数年を過ごしてしまいました。

最近、「支えがなくなる」には2つの意味があることを実感しています。
「支えてくれる存在」がいなくなるということと「支えるべき存在」がいなくなるという意味です。
どちらがより大きなダメッジかと言えば、もしかしたら後者かも知れないというのが最近の思いです。
人は「支えられる存在」ではなく「支える存在」なのかもしれません。

節子がいなくなって8年半。
ようやく最近は自立感が実感できるようになってきました。
鈴木さんはこう書いてきてくれました。

佐藤さんはお金という財産をあまり持たない(???)半面、 エマーソンのいう心の財産には恵まれているのだろうなあ、と思っています。

そうなのです。
私は財産家なのです。
でも本当はみんな財産家になれるはずなのです。
「支える存在」になればいいだけだからです。

節子がいた頃よりも、私の財産は増えたかもしれません。
もう大丈夫でしょう。

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■イソップ物語の「カエルの王様」を思い出すような状況です

経済に関して「うっぷんばらし」をしたので、政治に関しても。

私は日本の政治をだめにした一因は、民主党の岡田さんと野田さんにあるという「偏見」を持っています。
ですから、岡田さんが主導する民主党には、期待は微塵もありません。
なぜ私が岡田さんに不信感を持っているかと言えば、私に希望を与えてくれた、鳩山政権を内部から瓦解させたからです。
沖縄の基地問題で、鳩山さんは、政策パラダイムを変えようとしました。
しかし岡田さんは米国政府と米国資本に迎合して、それを支えなかったどころか、明確に裏切ったように思えてなりません。
それは私の「偏見」かもしれませんが、岡田さんの言動のすべてが私には、違和感があるのです。
野田さんは、民主党を安倍さんに差し出した人としか思えません。
それも、原発再稼働、TPP参加などのお膳立てさえ立ててです。
もともと2人とも、自民党から送られた「トロイの木馬」だったと思っていますので、まあボスに忠実に動いたのかもしれませんが、政権交代という国民の期待を裏切ったように思います。
この2人が、民主党という大事な政治勢力の一つを破壊したと私は思っているのです

アメリカの2大政党は、本来は共和主義と民主主義でしょうが、最近はかなり境界が乱れています。
日本の2大政党は、自由主義と民主主義だと思っていましたが、いまや民主主義は無残にも破壊された気がします。

そうした状況の中で、政府与党に対する新たな対抗野党を創りだすことが必要だといわれています。
共産党も姿勢を変えましたし、「市民連合」も野党連携を呼びかけています。
しかし、私はいずれにもあまり共感が持てません。
たしかに野党の結集は大切ですが、自民支持と脱自民という政治構造は、どうもイメージできません。
そこに何の価値観もビジョンもないからです。
価値の対抗軸がない限り、所詮は権力争いでしかありません。
ちょっとした拍子に、反ファシズムのファシズム化が起こるかもしれません。
もし仮に、野党連合が政権をとったとしたら、政治のスピードは落ちるでしょう。
そうしたら、国民はまた言うでしょう。
何も決まらない政治はいやだ、と。

イソップ物語の「カエルの王様」を思い出します。
その結末がそうであったように、神様はきっと素晴らしい王様を与えてくれるでしょう。
その準備が着々と進んでいるような気がしてなりません。
素晴らしい王様が君臨するようになる前に、私はいなくなりたいですが、もしかしたら間に合わないかもしれません。
いささか憂鬱です。

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■マイナス金利とお金依存症

しばらくかかないでいたため、かなりのストレスがたまっています。
それを抜く意味でも、今回は少しうっぷん晴らしです。

今朝のテレビ「報道新2001」を見ていて、やはり私は違う世界にいるなと思わざるを得ない発言ばかりでした。
テーマは、「初のマイナス金利始動効果は?アベノミクス逆風暮らしは」です。
ゲストの稲田自民党政調会長の発言は問題外として、それなりの見識をお持ちだろうと思う人たちの発言も、どうも基本から違和感があるのです。
たとえば、進行役の須田さんは、こういうのです。
「70歳に近づくにつれて、やはりお金は大切だと思うようになった」
この人は、おそらく貧しい生き方をしているのだろうなと憐憫の情を感じましたが、こういう人に経済を語る番組の編集役をやってほしくないなと思いました。
慶應大学教授の片山善博さんは、「マイナス金利はわけがわからない」というような発言をされましたが、わけがわからないのであればコメントしてほしくないと思いました。
デフレとインフレの話も少し出ましたが、これも違和感が大きいです。

私は、お金への過剰依存から抜けるべきであり、そのためにはデフレをもっと進めるべきであり、金利はマイナスであることを原則とすべきだと思っています。
ただそれらを個別に議論すべきではなく、総合的に考える必要があります。
つまり、「経済のパラダイム」を問い質すべき時期に来ていると思うのです。
パラダイムの転回を考える時には、先入観は捨てなければいけません。
素直に考えれば、生命を持った存在でない人工物(仕組みも含めて)は、放置したら「減価」します。
その基本を知っていたら、人工物である「貨幣」は保管していたら、減価、すなわちマイナス金利は当然のことです。

シルビオ・ゲゼルが提唱するゲゼル経済学は「減価する貨幣」を基本にしていますが、金利がつく貨幣という考え方は、経済の一つの考え方でしかありません。
というか、むしろ「減価する貨幣」を基本に考えるべきであって、それを「利益を生む貨幣」にしたが故に、さまざまな問題が発生していると考えるべきでしょう。
基本は大事にしなければいけません。
もっとも、そうした本来は経済の基本に置くべき考えの一部を、手段的に「いいとこどり」をしようとしたのが、今回の黒田日銀総裁の暴挙だと思いますが、目先しか見えないお金依存症の人たちには、わけがわからないのでしょう。
もちろん黒田さんも理解はしていないでしょう。
理解していたら、もう少しまじめに考えたはずです。

デフレはどうでしょうか。
経済のパラダイム転回の視点から考えた場合、デフレとインフレはどう位置づけられるべきでしょうか。
この問題は、私自身よく理解できていませんが、デフレの究極が、すべてのものが限りなく無料になるとしたら、歓迎すべきです。
しかし、それは同時に、人工物をつくるための労働の価値(つまり働く人たちの金銭収入)を減らすことだといわれます。
しかしそれは、働く価値がお金に強くリンクされているために起こることです。
その関係を見直すのも、経済パラダイムを変えるということです。
そういう大きな視点から、経済を考え直すことが求められだしているように思います。
経済成長は、いまや人間の生活を侵食する存在になってきているからです。

せめて70歳に近づいたら、お金の限界に気づく知性がほしいです。
そういう生き方をしてほしいです。

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2016/02/20

■節子への挽歌3085:四天王像の怪

節子
今日はずっと雨でした。
時評編に書きましたが、一昨日訪問した四天王寺の四天王像の配置がどうも気になって、自宅にあるいろんな本を探し続けていました。
私の記憶を肯定してくれるものは一切見つかりませんでした。
四天王寺には、以前も一人で行ったので、節子は知らないはずです。
しかし、節子には、その驚きを話したかもしれません。
それが確かめられないのが残念です。

未来は変えられるが過去は変えられないという人がいます。
そんなことはありません。
未来も過去も、たぶん変えられるでしょう。
いずれも私の脳のなかにしかないことだからです。

ところが最近、どうも私の記憶が事実無根ではないかと思うようなことが時々起るのです。
同時に、どこまでが夢でどこまでが夢でないのかも混乱します。
例えば、鮮明な記憶に残っている夢があります。
彼岸行の電車の駅で、なぜか大勢の人が下りてくるのを見た夢の記憶がそのひとつです。
ところが、この夢は実は昨日見た夢かもしれません。
いや、私の記憶の中にあるすべての夢が、昨日見た夢なのかもしれません。
私以外の人に話したり、書きものとして残したものがあれば、その夢は昨日より前に見たことは確かですが、そうでない夢はすべて昨日見たのかもしれません。
いや、私の記憶にある過去はすべて、昨日、見た夢かもしれないのです。
最近、そう思うことが増えてきました。

さて四天王寺の須弥壇の配置ですが、実はこれは四天王寺に訪問する気になった日に見た夢かもしれないのです。
事実はそうではないことは間違いありませんが、そう考えれば論理的に解決できます。
どう考えても、須弥壇で四天王像が横一列に並んでいるはずはないでしょう。

1日中、四天王像のことばかり考えていたら、頭が混乱してしまったようです。
しかし不思議です。
その混乱の中で、せっかく四天王寺に行ったのに、本尊の救世観音をあまり拝んでこなかったことに気づきました。
さらに言えば、中門の仁王像も見てきませんでした。
さて、このことはもう忘れて、明日はまた現世で生きようと思います。

今日は寒い1日でした。

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■四天王像が一列に並んでいるお寺をご存じないですか

非常識な疑問なのですが、どうも気になって仕方がないので、もしかしたらと思っての投稿です。
よほどお暇な方はお付き合い下さい。
そしてもし何かご存知でしたら教えてください。

一昨日、大阪の数十年ぶりに四天王寺を訪ねました。
ところが金堂の須弥壇の四天王像の配置が、記憶と全く違うのです。
私の記憶では、(常識的にはあり得ないことなのですが)、四天王像が須弥壇の4隅ではなく、たしか左前方に一列に並んでいるのです。
そんな配置は、常識的に考えても、あるはずがありません。
しかし、私の記憶では、そのあるはずもない配置なのです。
その異様な配置に驚いたのですが、ある理由で納得したという記憶が残っているのです。
ところが今回金堂も拝観させてもらったのですが、まったく正常な配置になっていました。
受付の人に恥を忍んで質問しましたが、もちろん以前からこの配置だそうです。

以前、その印象が強烈だったので何かに書き残した気がして、帰宅後、いろいろと調べてみましたが、そんな記録は出てきません。
資料や文献も調べましたが、そうしたものにもまったくそんな記述はありません。
もしかしたら夢の記憶なのかとも思いますが、かなり以前からその記憶があって、いつか再訪してみたいと思っていたのです。
記憶違いだと思えば、なんでもない話ですが、どうも気になります。
もしかしたら、四天王寺ではなかったのかもしれません。

どこかに、四天王像が四方に配置されずに、一列に配置されているお寺をご存知の方がいたら教えていただけないでしょうか。
どうも気になって、仕方がありませんので。
何かご存じの方は、次のところにメールをいただけるとうれしいです。
qzy00757@nifty.com

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■司法における非対称構造

先日、大学時代の同窓生の大川真郎弁護士のオフィスを訪問しました。
大川さんは、昨年、「裁判に尊厳を懸ける」という本を出版しましたが、その内容に感動して、湯島のサロンでお話をしてもらったのです。
参加者には事前に読んできてもらいたかったのですが、読んできてくれたのは半分でした。
最近は本を読む人が減りました。
この感動的な本も、なんと2500部しか出版されず、増刷はなかったそうです。
司法界の人口を考えると、信じがたい話です。
もしまだ読んでいない人がいたら、ぜひ購入してください。
もし弁護士に仕事を頼む際には、この書籍を読んでいるかどうかを確認してください。

大川さんは司法改革にも取り組んだ人です。
大川さんたちの努力にもかかわらず、日本の司法は独立性を失い、劣化しているような気がしています。
さらに私自身は、司法の持つ意味を真剣に考えている人が少ないような気もしています。
大川さんの本を読ませてもらったり、大川さんのお話を聞いたりしているうちに、私自身も含めて、それに気づきました。
そんなこともあって、大阪の大川さんを訪問させてもったのです。

いろいろと示唆に富む話を聞けたのですが、それはそれとして、ハッと気づいたことがあります。
それは、裁判制度を構成している、検事と弁護士の立場の非対称性です。
検事は組織に属していますので、収入は保証されています。
それに対して、弁護士(組織の属している弁護士は別として)は基本的には個人事業ですから、自分で仕事を創りだし働かなければ収入は得られません。
裁判で敗訴すれば、報酬も得られないわけです。
つまり、組織人と個人という、まったく違った立場なのです。
このことのおかしさに、私は気づかずにいました。
もうみんな知っていることかもしれませんが、その意味がきちんと考えられているとは思えません。
言うまでもなく、裁判官もまた国家に所属していますので、収入は保証され、生活も保障されています。
裁判の両輪とも言うべき、弁護士と検事が、こうした非対称の立場に置かれていることは、裁判にどう影響するでしょうか。
アメリカが訴訟社会になった理由も、そこにあるのかもしれません。
まさに「近代産業のジレンマ」の典型的な事例です。

いうまでもありませんが、その所属の故に、検事や裁判官は、国家統治の視点で考えますが、弁護士は依頼人の視点で考えます。
ここでも非対称は発生していますが、それはむしろ当然のことです。
しかし、本人の生活保障という面での非対称は、やはり仕組みとしておかしいように思います。
ではどうしたらいいか。
答はそう簡単ではないかもしれませんが、私たち一人ひとりの生活者が、弁護士という職業の意味をしっかりと理解しすることが、まずは大事です。
また大川さんに頼んで、湯島でサロンをしてもらいたくなりました。

みなさん
もしまだお読みでないとしたら、大川さんの「裁判に尊厳を懸ける」を読んでもらえれば、とてもうれしいです。
さらに感想を送ってくださった方には、いつでも珈琲をご馳走します。
私のホームページでは、大川さんの書籍も何冊か紹介しています。
今度のホームページ更新の際に、大川さんコーナーを創ることにしました。
すべて感動的な書籍です。
大川さんの人柄が伝わってきます。

http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#150719
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■節子への挽歌3084:張りつめて生きている若者たち

節子
新しいプロジェクトに取り組もいうとしている友人が、一緒に取り組んでいる若い女性と一緒に湯島に来ました。
若者の就労支援のプロジェクトなのですが、いまの社会は、若者にとってはとても生きづらいようです。
その女性も、かなり生き疲れているようで、前の職場ではパワハラで疲弊してしまったようでした。
話しをしていて、こういう人が少なくないのだろうなと思いました。

思いを持って、福祉の世界に入ったにも関わらず、その福祉の世界の実情を見て、ショックを受ける人も少なくないでしょう。
最近もある福祉施設で、若い職員が入居者を死に至らしめた事件が話題になっていますが、私自身はその加害者を責める気にはなれません。
福祉の世界を市場化したり、政治の道具にしてしまったりしている社会にこそ、問題があると思うからです。
福祉や環境問題を産業化してしまう風潮に違和感を持って、会社を辞めたにもかかわらず、そうした流れに何もできなかったことを反省しています。
いささか、自分の世界だけに目を向けてしまっていたのかもしれません。
それは意図したことではあるのですが、間違っていたかもしれません。
社会への関心を少し遠のかせているうちに、予想以上に、社会は劣化している気がします。

昨日会った女性は、私の生き方に少し興味を持ってくれました。
こういう生き方ができるのだと思ってもらえれば、人はもう少し楽に生きられるはずです。
最初に出会った時、彼女からは社会への強い怒りを感じましたが、話しているうちに彼女の柔らかさが感じられるようになりました。
いまの若者たちは、みんな張りつめて生きているのでしょうか。
もっと楽に生きればいいのにと思います。

偉そうなことを書いていますが、実は若い世代をこういう状況にしたのは、私たち世代なのでしょう。
私自身もたぶんに荷担しているはずです。
いまさら悔いても仕方がないのですが、若者たちのこの生きづらさを本当に理解できるようになったのは、この数年です。
それを教えてくれたのは節子と家族です。
もしかしたら、私の生き方そのものが、間違っているのかもしれない。
最近そんなことを考えるようになってきています。
まわりの人は、むしろ私の生き方を少しずつ理解して下さってきていますが、皮肉なもので、当の本人の思いは逆転しつつあるのです。
困ったものです。

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2016/02/18

■節子への挽歌3083:パラレルワールドの四天王寺

節子
大阪の天満に宿泊したので、朝、四天王寺に行ってみました。
30年ぶりくらいでしょうか。
ところが、記憶の中にある四天王寺とどうも一致しないのです。
ちょうど五重塔の回収中で、一直線に伽藍が並ぶ四天王寺スタイルが見えないのも一因ですが、それはともかく、金堂の須弥壇の四天王像の配置が違うのです。
どうしても気になって、受付の人に、変わっていないかどうか訊いてみました。
昭和の中頃の再建以来、変わっていないというのです。
それはそうでしょう。
教えを象徴する須弥壇の配置を変えるはずはありません。

実は、最近、こうしたことが、ときおり起こります。
私の思い違いなのか、私が違う世界にきてしまっているのか。
笑われそうですが、後者の考えが、私には、より馴染めるのです。
パラレルワールドの、隣へのシフトです。
節子がいなくなって、それが起こったに違いないと思うと、いろいろなことが納得できるのです。

四天王寺は、とても生活になじんだお寺です。
以前、来た時、たしかニワトリの鳴き声が聞こえていました。
夕方でしたが、子どもたちも境内で遊んでいた気がします。
今回はなにやら観光寺院的になっていましたが、先祖のご供養が、私が拝観している間にさえ,3件もありました。
地域の檀家の供養ですかと,また受付の人に訊ねたら、檀家以外の人も多いのだそうです。
しかも、金堂だけではなく、他のところでも受け付けているということでした。

節子の供養を頼もうかとも思いましたが、やめて、私が祈りをささげてきました。
四天王寺は節子と一緒に来る機会はありませんでした。
前に来た時は、心象的にですが、瀬戸内海が見えたような気がしますが、今回はそんな気配は微塵も感じませんでした。
私の記憶に残っている四天王寺は、一体なんだったのだろうかと思います。
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■節子への挽歌3082:とてもうれしいことがありました

節子
昨日、大学時代のクラスメイトの大川さんのオフィスを訪ねました。
大川さんは弁護士です。
卒業後、交流が途絶えていましたので、節子は会ったことはありません。
私が再会したのは、もしかしたら、節子がいなくなってからです。

大川さんは、日弁連の事務総長として、日本の司法制度改革に取り組んでいました。
私には共感できるものではありませんでした。
大川さんにも異論を唱えていました。
その後、大川さんは自らが取り組んだ豊島の産業廃棄物訴訟をまとめた本を送ってきてくれました。
大川さんの姿勢に、感動しました。
その後、司法改革をまとめた本など、いろいろと著作を送ってきてくれました。
そうしたものを読ませてもらって、自らの不明に気づきました。
司法改革に込めた大川さんの思いも少し理解できました。
昨年、彼が書いた「裁判の尊厳に懸ける」を読んで涙が出ました。
大川さんにお願いして、湯島でサロンを開いてもらいました。
サロンにはいろんな人が集まるので、私が思ったようなものにはなりませんでした。
大いに反省しました。

もっと話したいとずっと思っていましたが、大川さんは大阪在住ですので、そう簡単には会えません。
それに私と違って、しっかりした社会活動でご多用ですから。
今回、思い切って彼のオフィスを訪ねました。
とてもいい時間を持たせてもらいました。

実は、大川さんは私よりも10年も前に伴侶を見送っています。
なんとなく知っていたのですが、 思い切って改めてたずねました。
大川さんが、とても伴侶を愛していたことが伝わってきました。
大川さんがやさしくて、情感豊かなのはもしかしたら奥さんのおかげもあるのかもしれないと思いました。

大学の同窓生とは、正直、どこかで住んでいる世界の違いを感じているのですが、大川さんとは同じ世界にいるような気がして、元気が出てきました。
彼の生き方に比べたら、私の生き方はいかにも表層的だと、少し自己嫌悪に陥りましたが、久しぶりにとてもうれしい時間でした。

お互いに夫婦で会食したかったと思いました。

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2016/02/17

■節子への挽歌3081:ちょっと感傷的になってしまいました。

節子
時間があるので、もう一つ書こうと思います。

名古屋を出て、関ヶ原近くに来たら、なんと吹雪いています。

帰省時は、いつも米原で北陸線に乗り換えるのですが、雪のイメージがあります。
たぶん最初に来た時がそうだったからでしょう。
寒々としたホームで、あったかいうどんを買って、車内で食べたりしましたが、あの雰囲気が私は大好きでした。
北陸線も、昔はいかにもという感じで、自分でドアを開けて乗り、ドアをしめるのです。
昔は今より雪も多く、節子と帰る冬の滋賀の湖北の風景は、私にはとても魅力的でした。
最近は、大阪から新快速といって、同じ電車が乗り入れていますので、以前のような情緒はありません。
自然の風景は変わらなくても、変わったものはたくさんあります。

思いにふけっていたら、もう大津です。
右側に瀬田川は見えました。
ここから私たちの生活は始まったのです。
大津には山のように思い出があります。

間もなく京都。
挽歌を書くよりも、思いにふけってしまいました。
久しぶりに感傷的になってしまいました。

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■節子への挽歌3080:東海道新幹線から見る車窓風景はあまり変わっていませんね

節子
今日は大阪に向かっています。
最近は東海道新幹線にもあまり乗らなくなりました。
先日、会った小学校時代のクラスメイトから手紙が届きました。
彼女は私よりも早く伴侶を見送っています。
しかし、私と違い、その後の生き方は見事なほど、アクティブです。
大学院に通い、経済学を学んだかと思えば、琵琶を始め、今は演奏会にも呼ばれています。
まあそこまでは知っていましたが、来月は沖縄、5月にはウィーンとプラハだそというのです。
私などは、やっと大阪に行こうという気になるだけですが、彼女はさらに、その先は何をしようかと考えているそうです。
見習わなければいけません。

人にはタイミングがあります。
私たちは、さてこれから一緒の旅行を楽しもうかという時になって、節子の病気が見つかりました。
それまでも、年に数回は一緒に、この東海道新幹線には乗りましたが、それは夫婦旅行というよりも、帰省だったり家族旅行だったりしました。
もしかしたら、病気が小康状態だった時に、2人で京都旅行をしたような記憶もありますが、思い違いかもしれません。
旅行など、いつでもできるからという思いが私にはあったのです。
でも、いつでもできるなどということは、決してありません。
できることは、できる時に、しておかねばいけない。
これが節子のモットーでしたが、私は人生をあまく考えていたのです。

車窓から見える風景は、変わったところもありますが、駅と駅をつなぐ風景は節子と一緒に見たのと同じです。
東京の風景は大きく変わっていますが、日本全体の風景はそう大きくは変化していないのでしょう。
久しぶりに車窓をしばらく眺めていて、そう思いました。

節子より私が早く旅立った場合、節子はどうしたでしょうか。
友人のように、プラハに行ったでしょうか。
多分そこまでのアクティブさはなかったでしょう。
しかし、乗り慣れた東海道新幹線には、乗ったでしょう。
彼女の友人は、滋賀に多いですから。
この風景を見ながら私を思い出していたかもしれません。

そろそろ名古屋です。
良い天気です。

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2016/02/16

■節子への挽歌3079:社会が変わってしまった

節子
ちょっと気を抜くとすぐ挽歌がたまってきてしまいます。
いま気づいたのですが、また10日ほど、遅れてしまいました。
節子離れが始まったのかも知れません。
決して忙しいわけではなく、相変わらず暇で暇でしょうがないのですが、時間だけはあまりありません。
暇なのになぜ時間がないのかと思う方もいるかもしれませんが、これについては前にも書きました。
暇だから時間がないのです。

数年前に録画した、高村薫さんのテレビを見なおしました。
3.11の後、日本人は変わらなかったと怒りを込めていた番組を思い出したのです。
最近の私の精神不安は、もしかしたらそれに関係しているのかもしれません。
録画しておいたDVDを探して、見直しました。

日本人はなぜ怒らないのか。
福島原発事故が起こったにも関わらず、なぜ原発再稼働を認め、怒らないのか。
これまでの問題を3.11は顕在化させてくれたのだから、復興などではなく、新しい社会づくりに取り組まなければいけない。
高村さんはそう言っています。
私も、当時、強くそう思いました。
復興ではないだろう。
必要なのは生き方を問い質し、生き方を変えることであると。
テレビを見ると、久社の一人が、言葉は違いますが、そう語っていました。
とうじしゃになると、おそらく見えてくるのでしょう。

しかし、日本人は変わりませんでした。
所詮、日本人はキリギリスであって、アリにはなれないのだ、と高村さんは言っています。
そんな恥知らずの人間たちのなかで生きていることに、やはり私も違和感があります。
人は何で生きているのだろうか、と思うのです。
節子は、もしかしたら、良い時代の中で生まれ良い時代のなかで死んでいった。
そういう気もします。

それにしても、いまは酷い時代です。
テレビの描く日本社会は、もうやりきれないほどにおかしいのです。
そういうひどい社会を、私の子どもたちは生きていかなければいけません。
そう思うと、こういう社会にしてしまった自分の生き方を呪いたくもなります。
しかし、せめて自分にできることはないのか。

最近、相変わらず時評編は書けていませんが、挽歌編を書けないのも、こんな気分が少なからずあるからです。

時々、私は「悪夢」を見ているのかと思うことがあります。
節子がいた時には、気づかなかったのでしょうか。
それとも、悪夢が始まったのは、節子がいなくなってからでしょうか。

節子の看病と死後の数年間、私はあまり世間づきあいができていませんでした。
その5~6年の間に、日本の社会はどうも変質してしまった。
それが私にはずっと不思議でならないのです。

世界は自らの意識で構成されている。
そんなことが真実に思えてくる、この頃です。

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■節子への挽歌3078:今年のチューリップの季節です

節子
新潟のチューリップがまたどっさりと届きました。
早速、節子にもお供えしました。
毎年、金田さんが送ってきてくれるのです。

思い出して久しぶりに畑に行ってきました。
昨年植えておいたチューリップが芽を出し始めていました。
昨年よりは、少し広がりました。

畑にあまり行かないので、花畑もいささか心配です。
いまはもっぱら水仙が咲いています。
もう少しきちんと手入れをしておかないと、春になると大変なのですが、どうもまだ畑に行く気分になれません。
畑に行ったついでに、ネギと大根を少し収穫してきました。
自然の恵みには感謝しなければいけません。

毎年、この時期になると、チューリップが届き、水仙が咲く。
季節感に疎くなってきていますが、今年は少し季節感も取り戻せればと思います。
節子がいなくなってから、失ったものは少なくありません。
金田さんのチューリップを見ながら、そんなことを考えていました。

3月に新潟に行ければと思っています。
まだ寒いでしょうが。

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2016/02/14

■節子への挽歌3077:他者を思いやる幸せと不幸

節子
昨夜、明け方のテレビで、在宅ホスピスの活動に取り組んでいる人が、がんの末期はあまりに辛くて、他者を思いやることなどできなくなることがあると話していました。
幸いに、節子はそうはなりませんでしたが、たしかに最後の1か月は「壮絶」とさえいえるような日々でした。
当時を思い出しながら、テレビを見ていました。
あの時の私の対応がよかったのかどうかは確信が持てません。
よくがんばったと、友人からは言われましたが、当事者には当然、真実が見えるわけで、正直、とてもよく頑張ったなどという思いは持てません。
娘たちよりも、私が一番、だめだったかもしれません。
落ち度だらけだったと言うべきでしょう。
でも、私も娘たちも、そして何よりも、節子も、それぞれに精一杯だったことは間違いありません。
不十分かもしれませんが、それぞれが他者を思いやることができていました。
完全だったのは、節子だけかもしれません。

他者を思いやることができるのは、とても恵まれた状況なのです。
それは、節子を見送って数年してから気づいたことです。
その幸せ、他者を思いやることのできる幸せに、感謝したいと思います。
しかし、その幸せに気づかずに、節子との関係においては、悔いを残したことが、いまもなお尾を引いています。
そこからなかなか抜けられません。

この挽歌を読んでくださっている方が、こうメールを書いてきてくれました。

何故、ご自分の思いなどお書きになるのか?
奥様に語りかけたい?
ご自分の思いを書くことによって整理というか客観視というか、思いを形にする?

節子に語りかけたいというのは当たっていますが、同時に、悔悛や謝罪の念が大きいのかもしれません。
他者を思いやる幸せは、同時に、他者を思いやれなかった不幸とつながっているのです。
思いやることが不十分だったことに気づくことは、心を萎えさせます。
ましてや、その結果が、相手を守れなかったとしたらなおさらです。
だから、人を思いやることは、幸せだけではないのです。
そして、時にその悔いは大きく膨れ上がってくることがある。

他者を思いやることは、そういう意味では、勇気がいることなのかもしれません。
また哀しい知らせが来ました。
この歳になると、別れは日常になってくるのかもしれません。

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■カフェサロン「フランクフルト学派と市民」の報告

昨日の「ちょっとハードなカフェサロン」の話題提供者は、楠秀樹さんでした。
楠さんはいつも詳しいレジメをつくってきてくださいますが、今回も「フランクフルト学派と市民」と題した、ドイツにおける歴史研究(歴史認識)の動きをわかりやすく整理してきてくれました。
そして、それを踏まえて、現代にもつながる「優生学の問題」や公共圏の変質や生活世界の植民地化、道具的理性の意味、メディアの問題、さらにはナチドイツが特殊だったわけではないことなどにも言及され、そこから現代の日本社会を解く、さまざまなヒントを提起してくれました。
レジメを読み直してみると、楠さんの問題意識が改めて浮かび上がってきます。

レジメの最後に、いわば要約ともいえることが書かれているので、その一部を引用させてもらいます。

・ヒトラーの試みたことは市民を国民=民族にすることであり、それはより広く言えば遺伝の管理であったものとして今や反省され始めている。

・生殖や遺伝の管理という事態は、「家庭」を空洞化して国家に一人一人を帰属させ、生殖や妊娠の自己決定権をはく奪した。

・遺伝や健康、公共の福祉の下に「生きるに値しない生命」を排除する効率という発想を医師などの専門家や国民も支持し、協力した。

どこかいまの日本社会を思わせるところがあります。
ナチスが抹消しようとしたのは、ユダヤ人だけではないのです。
それにドイツ人が荷担し、つまるところはドイツ人自らもまた抹消の対象になっていった。
そこが実におぞましいところです。
そして、そうした意味においては、当時の日本人もさほど大きく変わっていなかったのかもしれません。
しかも、それはいまも変わっていないかもしれません。

ドイツ人はナチス時代のドイツを(不十分かもしれないとしても)総括しようとしたのに、なぜ日本人は戦前から戦時にかけての日本を総括できないのかという議論もいろいろとありました。
そこからいまの日本の社会状況や沖縄の問題などにも話は及びました。

フランクフルト学派が生み出した「価値」は何かという議論もありましたが、学ぶことはたくさんあるように思います。
私にとっては、湯島でのサロン活動も、ある意味では、その学びから得た一つなのです。
今回も、キーワードとして出てきましたが、私たち一人ひとりが「公共的市民性」を高めていくことが大切であり、現実的なのだろうと思います。

ところで、今回、楠さんは優生学の動きにかなり時間を割いて話してくれました。
そして、優生学の歴史はどうしても(そして時には意図的に)忘れられがちになると指摘されました。
楠さんが大学で接している学生たちの優生学への反応の話も、私には衝撃的でした。
これに関しては、改めてサロンを開きたいと思いました。

優生学への志向がナチスを生み出したとも言えるかもしれませんが、それに関しても日本はいま、かなり危うい状況にあるような気がします。
いまテレビで、カズオ・イシグロ原作の小説「私を離さないで」がドラマ化されて放映されています。
テレビのドラマはどうもなじめませんが、原作を読んだ時の衝撃は今も忘れられません。
ナチスドイツは決して、遠い世界の「悪夢」ではなく、私の隣にあるような思いが、最近強くなってきています。
そうしたことを改めて実感させてもらったサロンでした。

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2016/02/13

■節子への挽歌3076:乾いた悲しさ、乾いた寂しさ

節子
しばらく日記的な挽歌を書いてしまっていたため、ちゃんとした挽歌を書こうと思った途端に書けなくなってしまいました。
困ったものです。

節子がいなくなったころ、時間が解決してくれますよ、と数名の人から言われました。
そんなことはなく、時間は悲しさや寂しさを決して癒してはくれないと思っていました。
それは事実なのですが、しかし、時間とともに何かがやはり変わります。
表現が適切ではないでしょうが、「瑞々しさ」が失われるのです。
なにか乾いた悲しさ、乾いた寂しさになっていきます。
挽歌にも瑞々しさはなくなっているのが、書いていてわかります。
あるいは、悲しさや寂しさが日常化してしまう。
生活そのものから喜怒哀楽が失われていくと言ってもいいかもしれません。
心から笑うことも、心から悲しむこともなくなってしまう。
生きる喜びが感じられなくなったと言っていいかもしれません。
死者とともに生きるということは、そういうことかもしれません。

しかし、伴侶や子どもを失ったのは、私だけではありません。
そういう人はたくさんいます。
みんなどうやっているのでしょうか。
その心の奥はわかりません。
私と同じでしょうか。
グリーフケアワークショップで、同じ立場の人たちと話したこともあります。
その場では、奇妙な安堵感がありましたが、正直、何も変わりませんでした。
自らを相対化はできますが、悲しさや寂しさを相対化できるわけではありません。
それは、そこからは消えていかないのです。
ただ乾いていってしまうのを防いでくれるかもしれません。
枯れそうな花に水をやるように、時に悲しさや寂しさを誰かと共有する意味はあるかもしれません。
しかし、それは結構、リスクもある。
悲しさや寂しさが日常化したなかで生きていると、そうしたものへの免疫力も低下します。
だれかの悲しさや寂しさが、感じやすくなり、同調しやすくなるのです。
そして精神が不安定になってしまいがちです。

まあそんな感じで、もう8年以上生きています。
それなりに疲れますが、どうしたらいいのか相変わらず見えてきません。
挽歌を書けない日もありますが、いつもそんな自問自答を繰り返しているのです。
節子との対話は、欠かしたことはないのです。

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■しばらく時評を書けずにいました

時評が書けません。
そもそもcoco壱番の廃棄食品の横流し問題に関連した記事が最後なのですが、いまも悪いのは coco壱番だと思っていますが、それをきちんと書くのが面倒になってきてしまったのです。
最近の報道のほぼすべてがそうですが、問題の本質は問われることなく、表層的な事象にしか社会の関心は向かっていません。
それも繰り返ししつこく同じような報道が行われます。
要は、過剰報道で本質を見えなくする「非情報化」が行われているのです。
不倫議員の辞職など採りあげる価値さえないと思いますが、スター並みの採りあげ方です。
子どもの犯罪も、その周辺の大人たちの問題だと思いますが、大人たちはやぶの外です。
coco壱番の食品廃棄の原因は、不純物混入が原因だと最初報道されましたが、たぶんそれだけではないでしょう。
あれだけの大量な食品が廃棄されるという構造に問題があるのです。
それに、廃棄の仕方が問題なのですが、なぜか読者はcoco壱番の味方のようです。
結局何も変わらずに報道は終わってしまいました。
そうした風潮に嫌気がさして、時評が書けなくなっていました。
困ったものです。

私が最近強く感じているのは、ファシズム化の動きです。
北朝鮮では、いまなお、「処刑」というおぞましいことが行われているようですが、もしかしたら日本でも同じようなことが行われているのかもしれません。
そういう想像力を少し膨らませると、そんな気さえしてきます。

体調があまり良くなかったこともありますが、この数か月、きちんとした時評編を書けずにいました。
少しずつですが、慣らし運転的に書きだそうと思います。
この数か月で、かなり「ひがみ根性」が大きくなってきているので、いささかの心配はありますが。

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2016/02/11

■節子への挽歌3075:やっと歯ぐきの腫れが引き出しました

節子
どうも体調がすっきりしません。
いろんなストレスが噴出しだしているのかもしれません。
節子がいた頃は、ストレスなどとは無縁だったのですが、最近はストレスだらけなのかもしれません。
困ったものです。

2日前からまた歯ぐきが炎症を起こし、食事ができませんでした。
免疫力低下で、この20日間は次々と問題が起きます。
そしてやはり口腔に来てしまいました。
湯島に来た人たちは、元気そうで安心したと言ってくれますが、人と会っている時には、それなりに気を張って元気にしているのです。
実のところ辛いことも少なくないのです。
娘たちからは、「お父さんはいい格好しいだから」と言われていますが、どうも私にはその傾向があるのかもしれません。
これも最近気づかされたことです。

それでも今日はだいぶ良くなりました。
医者に行こうかと思ったのですが、先日お医者さんからもらったロキソノニンが残っていたので、それを飲んでいたら、ほぼよくなりました。
まだ少し腫れていますが、食事は大丈夫になりました。

今日はお寺に行くつもりでしたが、そんなわけでやめてしまいました。
午前中は電話で過ごしましたが、午後は少し小難しい本を読み、その対極にあるテレビを見て、1日、過ごしました。
相変わらずまだ畑に行く元気は出てきません。

しかし、明日からはだいぶ動けるようになるでしょう。
パソコンにもきちんと迎えるようになりました。
最近内容のない挽歌が続いていますが、もう少ししっかりと書こうと言う気にもなってきました。
長らくかけずにいた時評編も書こうと言う気になってきました。

冬はそろそろ終わりにしようと思います。

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2016/02/10

■節子への挽歌3074:“A Few Good Men”

節子
久しぶりにテレビで、映画「A Few Good Men」を観ました。
信念のために権力や権威に対峙する人間が主役です。
この種の映画には、私はとても心震えることが多く、私の生き方にもおそらく少なからず影響を与えているはずです。
もう何回も見ているのに、必ずと言っていいほど、2か所で涙が出ます。

この映画には、ある記憶がつながっています。
節子も知っている、私たちよりもかなり若い女性がいました。
彼女は九州の人ですが、東京で一人暮らししていた時期があります。
湯島に来たのがきっかけで、私たちと知り合いました。
どういう経緯だったか、忘れてしまいましたが、私たち夫婦がある舞台を観に行くときに、彼女も一緒でした。
大きな夢に一人で立ち向かったり、あるミュージシャンの追っかけなどしたり、かなり風変りな人でした。
しかし、どこかに「哀しさ」を感じさせる人でもありました。
節子とはなぜか波長が合っていました。

しかし、突然に親元に帰りました。
体調を悪くしたというような話も聞きました。
そして、節子宛てに、高価そうな久留米絣のタペストリーが届きました。
節子はそれがとても気に入っていました。

しかし、その後、少し精神的に安定を失い、わけのわからないメールが届き、音信不通になってしまいました。
そのうち落ち着いたら連絡を取ってみようと思っているうちに、節子が発病、節子も私も彼女のことを忘れてしまっていました。
そして、節子の闘病中に、彼女が亡くなったことを知りました。
もしかしたら、と思いました。
彼女のお母さんとも知り合いでしたので、連絡を取ってみました。
彼女のお母さんは節子の病気のことを知り、その後、いろいろと抗がん効果のあるものを送ってきてくれました。
もし、そうしたものがもう少し早く届いていたら、節子に奇跡が起こったかもしれませんでした。
しかし、間に合いませんでした。

節子が逝ってしまった後、福岡の実家に献花に行きました。
彼女のお母さんとは、それまでも何回かお会いしています。
私よりも一回り以上年上ですが、私よりもお元気です。
とてもよくしてくれます。

「A Few Good Men」と関係ない話を書いてきましたが、実は彼女が音信不通になる前の電話で、「A Few Good Menの映画を観たけれど、とても面白かった」と話してくれたのです。
私が彼女の声を聞いた、それが最後でした。
この映画と彼女はつながるところが全くありません。
彼女は、この映画のどこが気にいっていたのか。
そして、なぜ私にそんな電話をかけてきたのか。
そのせいか、この映画を観るたびに、彼女のことを思い出します。

彼女のお母さんも、とても不思議な人ですが、彼女自身もとても不思議な人でした。
2人とも、とても霊的な人たちなのです。
いまはたぶん節子と一緒に彼岸で白い花摘みをやっているでしょう。
彼女のお母さんが前にそう教えてくれましたから。

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■「仕事における居場所感」報告サロンの報告

昨日の「仕事における居場所感」の報告サロンは、意図に反して、企業関係者は少なく、多彩なメンバーの集まりになりました。
今回の話題提供者は、慶応大学湘南キャンパスの4年生の氏家さんです。
昨年彼が行った、主に企業の人を対象にした居場所概念の構築のための調査報告をしてもらい、それに基づいて参加者が話し合うサロンでした。
氏家さんの調査には私もささやかに協力しましたが、今回、改めてさまざまな人が、若者の報告を誠実に聞き、いろいろと意見を出してくれたのがとてもうれしかったです。
若者であるが故の未熟さは多々ありますが、だからこそ、それを誠実に聴き、真摯に話し合いを重ねていくことこそが、私のように歳を重ねたものの責任だろうと私は考えています。

氏家さんは、居場所感の構成要素として、「当事者意識」「関係性」「自己効力感」を抽出し、またソーシャルサポートの影響なども解析しています。
詳しい内容に関して関心のある方は、ご連絡いただければ、氏家さんにつなげますので、ご連絡ください。

この分野のプロでもある斎藤さんや本間さんも参加してくれましたし、わざわざ長野から参加してくれたNPOの江村さんもいます。
社会活動でお忙しい折原さんも、元日経記者だった坪田さんも参加し、いろいろとコメントしてくださいました。
この調査にやはり最初から協力してくれた大坪さんも参加してくれました。
そうした多彩な立場からの話し合いも行われました。
話しは多岐にわたりました。
そもそも「仕事がある」ということが、居場所を創りだしているのではないか、そもそも仕事もない人は、居場所感以前の状況にあるのではないかという話もありました。
「居場所がない」という言葉は、よく聞かれますが、そこにはさまざまな意味が込められているようです。
「仕事」とは何なのかという話もありました。

氏家さんの報告を聞いていて、私が感じたのは次の点です。
・居場所は「与えられるもの」なのか「創りだすもの」なのか。
・仕事場での居場所と社会との居場所はどう関係するのか。
・閉じられた居場所感と開かれた居場所感があること。
こうしたことを考えていくと、いろいろな面白テーマにたどり着きそうです。

氏家さんの調査研究活動は、まだ入り口に立ったところです。
これからが楽しみですが、体験豊かな多くの人にいろんなコメントをもらって、これからさらに豊かなものになっていくでしょう。
参加してくださったみなさま方には、とても感謝しています。
ありがとうございました。

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2016/02/09

■節子への挽歌3073:歯茎の炎症で辛いです

節子
昨日は調子がよかったのですが、また歯茎が炎症を起こしてしまったようです。
免疫力が落ちていると、次々の問題が発生します。
きちんと身体維持管理をしていないので、仕方がありませんが、歯茎の炎症はかなりつらいものがあります。
次の用事まで、湯島で2時間ほど時間が取れたのですが、何もやる気が起きません。それに今日はあったかくなると聞いていたので、薄着で来てしまったのですが、寒くて仕方ありません。

今日は午後打ち合わせだったのですが、呼びかけ人の吉本さんが、佐藤さんはお昼を食べていないのではないかと心配りしてくれて、玄米のおにぎりとゆで卵を持ってきてくれました。
すべて自分でつくったものです。
まだあったかかったですが、歯茎が痛いので、苦労して食べました。
吉本さんは、なぜか珈琲豆まで持ってきてくれました。
最近は、そうしたお布施が増えている感じがしますが、外から見たら、私はいまやとても経済的に貧しく見えるのかもしれません。
しかし、そんなことはなく、私自身は経済的にも恵まれているのです。
年金もきちんともらっています。
経済的に恵まれているかどうかは、かなり主観的なものです。
私の場合、収入は少ないかもしれませんが、支出がともかく少ないのです。
財布を持ったことがありません。

湯島ではいろんなサロンをやっています。
基本的に会費は500円ですが、参加者が自発的に部屋の片隅にある缶に500円入れていくのです。
時々、なぜか1万円札が入っていたりするのですが、忘れる人もいます。
忘れる人がいてもいいというのが私の発想ですが、きちんと徴収するのがいいという人もいます。
悩ましい問題ですが、なかには500円入れるのを忘れたと言って、わざわざ届けに来たり、郵送してきたりしてくれる人もいます。
その人にとっては、500円の意味は、とても大きいのです。
こういうことを長年やっていると、お金に関する価値観のようなものも、なんとなく見えてきます。

お金がなくて500円も払えないので、参加したいが参加できないという人もいます。
お金がなければ払わなくてもいいんじゃないのと、私は無責任に思うのですが、そういっていいものかどうか、これも悩ましい話です。
そういうことを言って、かつてとても嫌な思いをしたことがあるからです。
お金は、額の多寡ではなく、人の本性につながっているのかもしれません。

何のことを書くつもりだったかわからなくなってしまいました。
歯茎は相変わらず発熱しているようで、身体全体がけだるくなってきました。
今日のサロンは大丈夫でしょうか。
いささか心配です。

歯茎が痛く、あんまり食べられないので、栄養ドリンクを飲んでしまいました。
これってしかし、空腹は満たしてくれません。
吉本さんのおにぎりを、もう一つ食べておけばよかったです。

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2016/02/08

■節子への挽歌3072:人の世話になるのもケア活動

節子
だいぶ体調が戻ってきました。
いろんな人のエールのおかげです。
今日は、大忙しでした。
人の世話になるというのも、ある意味でのケア活動だと私が考えていることを知ったら、みんなはどう思うでしょうか。
しかし、私はますますそう思うようになってきています。

節子が元気だったころ、節子のお母さんが入院していた病院にお見舞いに行ったことがあります。
その病院に節子の知っている方のお孫さんが入院していました。
自動車事故で、意識が亡くなり、いわゆる植物状態でずっと入院しているそうでした。
意識もなく寝たきりの、たぶん20代のお孫さんに、そのおばあさんはずっと付き添っていました。
そして、意識のない孫に対して声をかけていました。
私は、病院ですれ違っただけですが、節子からそういう話を聞きました。
もう40年以上も前のことなので、不正確かもしれませんが、その時のそのおばあさんの明るくやさしい雰囲気がなぜか今も残っています。
その時、感じたのは、この人は、孫の世話をしつづけることが生きがいなのだと思いました。
節子とは、よくその話をしたものです。
人の幸せとは他者には決してわからない。
そして、人の不幸も同じようにわからない、と。
これは、私が「ケア」ということに関心を持った、ひとつの契機です。

節子が胃がんになり、私は仕事はもちろん、人との付き合いも最小化しました。
家に引きこもり、節子との時間を過ごしました。
いまから考えると、あまり節子のケアをしたとも思えません。
むしろ私がケアされていたのかもしれないと、今では思います。
一緒にいて、節子の役に立つことができる。
これほどうれしいことはありませんでした。
あまりの幸せのなかで、まさか節子がいなくなるとは思いたくなかったのでしょう。
節子の死を意識したことが、ないのです。
ですから、それは介護とは言えないかもしれません。
相手を心配していたのは、むしろ節子だったかもしれません。

現世と彼岸と、いずれ別れることになる。
物理的には、もう相手をケアできなくなる。
そういう意味では、死に行く者も生き残る者も同じです。
生き残る私を、節子は心配していました。
その心配は、あながち間違いではありませんでした。
節子がいなくなってからの私は、生き違ってばかりしているような気もします。

しかし、もう9年以上も生き残ってしまった。

誰かの世話ができることの幸せに、多くの人は気づきません。
「世話をする人」と「世話をされる人」と、どちらになりたいかと問われて、どちらを選ぶ人が多いでしょうか。
私は、もちろん、「世話をする人」を選びます。
だから、「世話をされる人」になることこそが、介護の起点なのかもしれません。
という意味で、この1か月、私は多くの人に役立ったわけです。

とまあ、こんな「悪い冗談」が言えるほどに元気になってきました。
もしかしたら、昨夜、友人の魔法づかいが、遠隔ヒーリングで私に「魔性」を吹き込んだのかもしれません。
余計なことを言うと、また「気」を抜かれるかもしれません。
いろんな人に支えられていると、けっこう疲れることもあるのです。
はい。

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2016/02/07

■節子への挽歌3071:問題を乗り越えるために問題を創り出す

節子
先日、突然、ある若い女性から電話がありました。
いまも自殺予防の集まりをやっていますか、という電話でした。
3年前にあるところに相談に行ったところ、その相談員が途中で私に電話したのを覚えていたのだそうです。
記憶が呼び戻せなかったのですが、問題にぶつかっている人は、そうしたちょっとしたこともきちんと覚えているのだと、改めて気をひきしめました。
誰かの相談に乗るということは、そういうことなのです。

ある集まりで、相談に乗る時には、自分でできないこととできることを整理して、できないことは引き受けてはいけないと言われました。
私も誰かに対しては、同じようなことを言ったことがあるかもしれません。
しかし、実際に相談に乗っていくと、そんなことなど言ってはいられないのです。
そんなことを考えていたら、相手には信頼してもらえないですし、信頼してもらえなければ相談に乗れるはずもありません。
相談に来ている人は、ともかく感覚が鋭くなっているのです。
相談の基本には、「利己」ではなく「利他」を置かねばいけません。
しかし、それを続けていると、自分がずたずたになることもあります。
私の場合、それを救ってくれていたのが節子でしたが、節子がいなくなってからは、時々、メンタルダウンしてしまいます。
いまはその状況かもしれません。

その方が、なぜ私に電話してきたのかわかりませんが、自分も自殺防止に関わる活動を始めたいようです。
ちょっと遠方なのですが、一度、お会いすることになりました。
これは推測ですが、たぶんかつて私の友人に相談したことを乗り越えようと新しい活動を始めようとしているのでしょう。
自らの問題を乗り越えるためには、新しい課題を創り出すのは、一つの方法です。
それは、「利己」から「利他」へと基本を変えることであり、実はそこから新しい「利己」に気づけるのです。
他者のためはまさに自らのためなのです。
そこに気づくと世界は変わってきます。
何ができるかわかりませんが、相談に乗ろうと思います。

湯島にはいろんな人が集まります。
はっきりとは言いませんが、重荷を背負っている人も少なくありません。
重荷を背負えばこそ、なにか誰かの重荷を軽くしてやりたいという気持ちがどこかで現れてくるのではないかと思います。

実は最近、そんなことをいろいろと体験しています。
ほかの人のことなので、あまりここには書けませんが、重荷を少しでもシェアできることができればうれしいです。
重荷を背負っているのは、自分だけではないのです。
少し前向きになれてきたのかもしれません。

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2016/02/06

■カフェサロン「学童保育から見える子どもの世界」の報告

今日のコムケアサロンは、学童保育に長年かかわっている上野陽子さん(日本子どもNPOセンター)に話題提供してもらいました。
学童保育についてほとんど知らない人も含めて、10人の人が集まりました。
上野さんから、学童保育はどんな場所なのか、そこで今どういうことが起こっているのか、そこに関わるものとしてどんな悩みを抱えているのかを、話してもらった後、いつものように自由な話になりました。
上野さんは、これまでの活動からていねいなレジメをつくってくださっていますので、もしご関心のある方がいたら、ご連絡ください。
上野さんの了解が得られたらお届けいたします。

話を聴いていると、まさに大人の世界と同じようなことが展開されているように思いました。
と同時に、学童保育もだんだん窮屈になってきているのだなとも思いました。
そして、学童保育の世界もどんどん「市場化」が進んでいるようです。
そのため、子どもの都合よりも、大人たちの都合が、支配しているのかもしれません。
「福祉」の世界の大きな潮流と同じです。
そこでは「保育」とは何か、といった大きな目的は忘れられがちです。

上野さんは、そうしたなかで、たぶん子どもたちと正面から付き合い、両親には見えない子どもの姿を両親に伝えようとしているのでしょう。
だから、悩みが山のように出てくるわけです。
たとえば、上野さんはこんな悩みを話してくれました。
・子ども目線ってなんだろうか。
・どうしたら、一人の「人」として、子どもと関わることができるのか。
・モノ(景品)をもらえる行事が多いのではないか。
・学童保育の世界で子どもたちを大切にすることが、学童保育の外での子どもたちの生活を危うくすることはないのか。
・日常からつながるイベントをつくりたい。
・保護者や地域や社会に、何をどう発信していけばいいのか。

私が面白かったのは、最近はボール遊びができなくなっている公園が多いそうですが、学童保育の場合はルールを破ることができないのに、学童保育以外の子どもたちはボール遊びをやっている(もちろんルール違反)という話でした。
不都合なルールは変えればいいだけの話ですが、ルールが一度できてしまうと、なぜかみんなそれに従わないといけないと思う社会になってしまったようです。
それに関連して、子どもたちがちょっと工夫してルールを変えてゲームをしていると、「このゲームはこうやって遊ぶんだよ」と注意する子どもがいるそうです。
こうして「ルール重視」になっていくと、大きなルールが壊れて、学級崩壊や学校への不適合が起こるのかもしれません。

母親と子供の関係も話題になりました。
母親にとって、子どもは自らの存在証明なのかもしれません。
2人の母親の、少し違いのあるご意見には興味を感じました。
これはいつかまたテーマにしたいと思います。

ほかにもたくさん考えさせられることがありました。
所詮は、子どもたちの都合ではなく、大人たちの都合が優先されていると最後に誰かが言っていましたが、私もまったく同感です。

学童保育を否定しているわけではありません。
しかし、かつて保育所が「託児所」と言われたようなことを繰り返してほしくはありません。
学童保育を利用している人は、家族や本人が、どこかで学童保育の運営にも参画する仕組みが必要だろうと思います。
小学生の子どもでも、スタッフとしてやれることはたくさんあるはずですし、それが無理なら10年後にお返しする仕組みも考えられます。
市場化とは違う展開があるのになあ、と思いながら、私は話を聞かせてもらっていました。

主観的な中途半端な報告ですみません。
まあ、いつものことですが。

社会に向けて「学童保育」の現場からの声を発信していく場を、日本子どもNPOセンターで検討してほしいと思いました。
みんなあまりにも知らないのです。
みなさん、もっと子ども世界に関心を持ちましょう。
子どもが豊かに育たなければ、社会が豊かになるはずがありません。


Gakudou


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■節子への挽歌3070:生きた証

節子
生きていることの意味に関しては、これまでも何回か、書いてきました。
私の考えは、生きることそのものが目的であり意味であるというものですが、それはそれとして、何か「目標」がないと実際に生きる力が出てこないことは否定できません。

先日、ある70代の女性が、そのような発言をしました。
彼女は、かなり充実した生活をしてきましたし、いまもテーマを持っています。
しかし、それではどうも駄目なようです。
話していたら、どうも彼女の生い立ちに関わっているようです。
彼女は被爆した広島出身です。
普段は東京で暮らしていますが、いまも広島に家があるそうです。
そして、彼女が話したのは、原爆への思いでした。

詳しくは聴いていませんが、原爆関係や平和の集まりにも出てきているようですが、どうもみんな波長が合わないようです。
詳しくは聴けなかったのですが、原爆や核兵器に関して、もっと「美しく」(誰かを裁いたり非難したりせずに、寛容に、しかしラディカルに、そして創造的に、というような意味ではないかと思いました)、事実を知り合い、価値を創りだせるようなことはできないのかというのです。
例えば、それが「やさしい絵本」かもしれません。
そんな何かを実現したいというのです。
そして最後に彼女が付け加えたのは、それができれば生きた証を残せる、それがないと今の私は何か「浮遊している」(違う表現でしたが思い出せません)ような状況だ、という言葉でした。

生きた証とは、もしかしたら、現世と彼岸をつなぐものなのかもしれません。
彼岸が近くなると、それがほしくなるのかもしれません。
彼女には子供がいません。
子どもがいて、孫がいれば、ある意味での「証」は残ります。
ちなみに、私にもまだ孫がいません。
もしかしたらかなり遅いですが、今年は孫ができるかもしれません。
しかし、いまはまだ、私には生きた証はまったくありません。
私の場合は、「生きた証」は全く関心もありません。

彼女の言葉を聞いた時、ふと思いました。
生きた証は、彼岸に持っていくものではないのか、と。
現世に残す「生きた証」には興味はありませんが、もし彼岸に持っていくものであれば、捉え方は変わってきます。
少し考えてみたくなりました。

それにしても、彼女がこんなことを思っているとは、まったく知りませんでした。
人の思いなど、知り得ようもないでしょうが、まだまだ私は自分の世界の中でしか生きていないことに気づかされました。

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2016/02/05

■節子への挽歌3069:琵琶の演奏

節子
昨日、湯島の小学校時代の同級生が6人来てくれました。
女性3人と男性3人、みんな節子も知っている人たちです。
きっかけは、その一人が最近、琵琶をやりだしたので、その琵琶を聴こうと言うことになったのです。

女性陣が食事を用意してくると言うので、私は何もしなかったのですが、食べきれないほどのものが並びました。
しかも一人は、有機農業のメッカとも言われる小川町の霜里農園の金子友子さんなので、半端ではない良質の食材も届きました。
今朝、乳牛から絞ってきたという牛乳も持ってきてくれましたが、なんと甘くておいしいことか。
もうひとつの絶品は、イチゴでした。
今ごろの位置がハビトゥス、とても甘いのです。
久しぶりに野生の香りのする美味しいイチゴを食べました。

金子友子さんは、アナウンサーから突如、農家に嫁ぎ、今やすっかりお百姓さんです。
節子がいた頃、湯島のサロンに野菜を届けてくれたことがありますが、最近は時々テレビなどでも顔を見るようになりました。
琵琶を始めたのは升田淑子さんですが、かなり個性的な人で、しばらく前までは大学で国文学を教えていました。
時々、論文を送ってくれましたが、私にはとても歯が立たないものでした。
大学を辞めてからは、乗馬をはじめ、昨年から薩摩琵琶を始めたのです。
節子への献花に、わが家にも来てくれました。
もうひとりの女性は、筑前琵琶をもう10年前からはじめて、最近は演奏会などもやっている芳賀庸子さんです。
芳賀さんも、いろんなことにチャレンジしていて、ご主人を亡くしてから、大学院で学び直していましたが、いまは琵琶にかなりのめっているようです。
大学に通っていたころ、偶然にも私が書いた本を見つけられてしまい、その後、どうしたのかと昨日も言われてしまいました。
誰も私が本を書いたことなど知らなかったはずですが、まあ仕方がありません。
私が何をやっているかは、同級生たちには見えていないでしょう。
当の私自身さえ、わからないのですから、当然です。
でも彼らは幼なじみですから、私の生き方はわかっているでしょう。

それにしても、女性陣の前向きの姿勢は圧倒されます。
女性たちの話を聞いていたらあっという間に6時間を超えていました。
しかも、琵琶の話から政治の話まで、実にパワフルで豊かです。
もちろん「むかし話」などありません。
それに比べて男性側はどうしようもありません。
気が萎えたなどと愚痴をこぼしている私は論外ですが、他の3人も、まあ今を生きているだけなのです。
それに、女性たちと違って、何をしているのか、改めて書こうとすると何も出てこない。
困ったものです。

70歳を過ぎると、やはり男女の差は大きく出てきます。
つくづくそう思います。
それに伴侶を見送った同級生は数名いるのですが、私のように男性は元気をなくすのに、女性はむしろ元気に自分の道を見つけています。
女性に見習わなければいけません。

Biwa


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■節子への挽歌3068:贅沢な境遇

節子
一昨日は、魔法使いによる遠隔ヒーリングをしてもらいました。
昨日はしぼりたての新鮮な牛乳を飲ませてもらいました。
そして今日は、思ってもいなかった人から林檎ジュースが届きました。
いろんな人が、心配してメールもくれます。
これほどの支えをもらいながら、一向に気力はもどりません。
困ったものです。
もっとも体調が悪いわけではなく、湯島にも出ていますし、それなりに動いています。
しかし、気が一向に戻らないのです。
どこに原因があるのでしょうか。
精神的な問題かもしれません。
すこし生き方につかれてしまったのかもしれません。
それに今週は、元気のないままに、強烈な本を読んでしまいました。
沖縄の人が書いた、日本人は沖縄を植民地にしているという指摘の本です。
まさにその通り、自らの無知と愚鈍さに気づかされました。
節子がいないので、一人で背負い込まねばいけません。
いささか気が重いです。

気が萎えているとどうなるか。
先に延ばせるものはすべて先に延ばしてしまうのです。
しないでもいいことは、しないままにしてしまうのです。
時評編は全くかけていません。
書きたいことはあるのですが、書く気が起きないのです。
書く資格すら疑わしい。

それでもなんとか困りもせずに生きていられるというのも、考えてみれば恵まれているのでしょう。
人はたくさんの人と支え合いながら生きている。
気が萎えてくると、それがよくわかります。
気にしてくれている人がいる、と思えるだけで、人は支えられます。
気にする人がいるだけで、人は支えられる。
まあ、もうしばらくは、この贅沢さを素直に受け入れていようと思います。
いつかそのお返しは、だれかにできるでしょうから。

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2016/02/03

■節子への挽歌3067:ちょっとした刺激

節子
先日、テレビでやっていたので思い出したのですが、「過冷却水」というのがあります。
水温が零度以下に下がり、本来であれば、氷結しているのですが、何らかの事情でまだ液体のままの水です。
そこに、何らかのちょっとした刺激が加えられると、一挙に氷結してしまうそうです。
昔、この社会を「過冷却社会」と捉えてどこかに書いた記憶がありますが、ホームページを探しましたが、どこに書いたか見つかりません。

人もまた、いろんな意味で、過冷却状況に置かれることがあります。
「キレる」という状況は、過冷却状況において行われるのかもしれません。
もちろんそれはいい意味でも起こります。
考えが詰まってしまい、動きが取れない状況の中で、ちょっとしたことで新しい考えが浮かび、問題が解決することがあります。
世紀の大発見もまた、そうしたことで実現するのかもしれません。

まあ、そういう話とは全く次元が違うのですが、
今朝、私の停滞した状況を打破してくれるようなことが起きました。
と言っても、大したことではなく、まったく小さなことなのですが。

見知らぬ人からメールが届いていました。
アメリカ在住のSRさんという人からで、ある人を探しているのだがという内容でした。
探している人が、私と同じ都立西高を卒業しているのだそうです。
残念ながら、その探している人は私とはかなり卒業年次が離れているので、もちろん心当たりなどありません。
しかし、おそらく探すのはそう難しくはないでしょう。
早速、同窓会につながりの深い、2人の友人にお願いのメールをしました。
私自身は、同窓会という組織には関心がないので、ほとんど参加したことがないのです。

ところで、その人はどうして私にメールをくださったのでしょうか。
その方のメールによれば、都立西高同窓会のウェブページに卒業生がやっているブログが紹介されていて、そこに私のサイトが紹介されていたのだそうです。
私自身思ってもいなかったことです。
同窓会のホームページも見たこともありませんし、在校時代から私はあんまり学校が好きではなかったので、目立たない存在だったのと卒業後も一部の友人以外とはあまり交流がありません。
だれがいったい私のホームページをリンクさせてくれたのでしょうか。
実に不思議な謎です。
それに、リンクの数はそう多くなく、個人名の私のホームページは目立つのです。
その方が、私にメールしてきたお気持ちがわかりました。
役に立たねばいけません。

今朝起こったことは、このことです。
それがどうしたのと言われそうですが、いささか退屈していた私にとっては、大きな刺激なのです。
「思ってもいなかったこと」が起こることが、私には一番の刺激なのです。
突然の「ノイズ」は、人生を変えてくれるかもしれませんので。
やろうとしていることのリストが、いまもこのパソコンの横に箇条書きされて並んでいます。
なかには10分で終わることもあるのですが、どうもこれまでの延長で出てきた課題は、その結末もほとんど見えていますから、気が萎えている時には気が動きません。
しかし、今回の話は先が見えていません。
それにしがらみもない。
気が動き出すかもしれません。

晴れてきました。
久しぶりに湯島に出かけようと思います。
もしかしたら、最近の心身的違和感は、過冷却状況のせいだったのかもしれません。
過冷却状況を脱するには、ほんの小さな刺激でいいのです。
いやむしろほんの小さな刺激こそがいいのです。

ちなみに、その人が探しているのは、都立西高を1985年(昭和60年)に卒業した女性です。
もし昭和60年西高卒業の方がいたらご連絡ください。
もう少し詳しい情報をお伝えします。

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2016/02/01

■節子への挽歌3066:元気ではあります

節子
またしばらく挽歌が書けませんでした。
今回は、「長い風邪」のせいです。
風邪と言っても、さほどひどい状況ではなく、喉がやられ、なんとなくけだるく、夕方になると微熱が出ると言った程度なのですが、全体の身体的なバランスに違和感があって、気力が出てこないというような状況が続いていました。
一種の逃げの状況でもありました。
途中、断りにくい約束があって、湯島にも出かけましたが、その時は奇妙に元気になってしまうのです。
パソコンにも向かうのですが、メールだとかフェイスブックを見ていると、どこかやはり気が萎えてきてしまい、すぐに止めてしまうという状況で、挽歌も書けませんでした。
一番引っかかっているのは、もしかしたら、最近の政治状況や社会状況なのかもしれません。
たとえば、安倍政権への支持率の高さがどうしても理解できないのです。
こんな人たちと同じ時代を生きているのかと思うと、それだけで気が萎えてきてしまうのです。
いささか過剰反応だとは思うのですが、正直、元気は出てこないのです。
軽いメンタルダウンかもしれません。
困ったものです。

昨日から一応、生活は正常化できる状況にあるのですが、そしてそのつもりでいるのですが、どうも抜けられないのです。
パソコンに向かっても、何かをやろうという気が起きない。
7日に開催するサロンの案内も書けないでいます。
案内を出さなければ誰も来ないのはわかっていますが、それもまたいいかというような気にすらなってしまっています。
ブログは書きたいテーマが少なくないのですが、これも書く気が出てきません。

今朝は在宅ですので、朝からもう10回近くパソコンに向かうのですが、どうも頭が動かない。
かなり重症かもしれません。
何かが鬱積しているのかもしれません。
困ったものです。

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