■節子への挽歌3084:張りつめて生きている若者たち
節子
新しいプロジェクトに取り組もいうとしている友人が、一緒に取り組んでいる若い女性と一緒に湯島に来ました。
若者の就労支援のプロジェクトなのですが、いまの社会は、若者にとってはとても生きづらいようです。
その女性も、かなり生き疲れているようで、前の職場ではパワハラで疲弊してしまったようでした。
話しをしていて、こういう人が少なくないのだろうなと思いました。
思いを持って、福祉の世界に入ったにも関わらず、その福祉の世界の実情を見て、ショックを受ける人も少なくないでしょう。
最近もある福祉施設で、若い職員が入居者を死に至らしめた事件が話題になっていますが、私自身はその加害者を責める気にはなれません。
福祉の世界を市場化したり、政治の道具にしてしまったりしている社会にこそ、問題があると思うからです。
福祉や環境問題を産業化してしまう風潮に違和感を持って、会社を辞めたにもかかわらず、そうした流れに何もできなかったことを反省しています。
いささか、自分の世界だけに目を向けてしまっていたのかもしれません。
それは意図したことではあるのですが、間違っていたかもしれません。
社会への関心を少し遠のかせているうちに、予想以上に、社会は劣化している気がします。
昨日会った女性は、私の生き方に少し興味を持ってくれました。
こういう生き方ができるのだと思ってもらえれば、人はもう少し楽に生きられるはずです。
最初に出会った時、彼女からは社会への強い怒りを感じましたが、話しているうちに彼女の柔らかさが感じられるようになりました。
いまの若者たちは、みんな張りつめて生きているのでしょうか。
もっと楽に生きればいいのにと思います。
偉そうなことを書いていますが、実は若い世代をこういう状況にしたのは、私たち世代なのでしょう。
私自身もたぶんに荷担しているはずです。
いまさら悔いても仕方がないのですが、若者たちのこの生きづらさを本当に理解できるようになったのは、この数年です。
それを教えてくれたのは節子と家族です。
もしかしたら、私の生き方そのものが、間違っているのかもしれない。
最近そんなことを考えるようになってきています。
まわりの人は、むしろ私の生き方を少しずつ理解して下さってきていますが、皮肉なもので、当の本人の思いは逆転しつつあるのです。
困ったものです。
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