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2016/02/26

■節子への挽歌3093:フェイスブックのコミュニティ

節子
フェイスブックというのは節子は知らないでしょうが、面白いメディアです。
人をつなげるメディアやツールは、人の世界を規定していきます。
私にとっての、最大のコミュニケーションメディアは、以前は湯島という場所でした。
そこで会う人たちが、私の世界の中心を占めだしました。

次に、もう一つの中心になったのが、電子メールです。
電子メールをやっている人とやっていない人とでは、交流の頻度や共有情報が圧倒的に変わっていきました。
時間軸さえも、かなり共有できるようになります。
そのため、私の世界を構成する友人知人も、その影響を受けてしまって、変化しました。
メールをやっていないと、いつの間にか疎遠になりがちで、そのうち、交流も途絶えてしまった人もいます。

最近は、私の場合、なんといってもフェイスブックです。
フェイスブックの効用は実に大きいです。
ゆるやかなつながりと、さりげない世界の共有ができるのです。
メールよりも、主体的に関われますので、負担はほとんどありません。
最近は、フェイスブックでなんとなく世界を共有している人が、私の世界の中で大きな比重を締め出しています。
なかには、一度もあったことのない人もいますが、不思議なもので、そういう人ともいつか必ず会えるような気がします。
そして、会った時には、もはや初対面の気分ではなく、旧知の友人のような気さえするのです。

節子がいなくなってから、私の世界はかなりヴァーチャルになってきました。
しかし、それは現実に会うことが伴っているから、成り立っているのかもしれません。
節子とは、いまのところ、この現世では会うことはないでしょう。
それがとても残念です。

今日はめずらしく、小宮山さんが主催する、多彩な人たちの交流会です。
こういうのはあんまり気が進まない上に、会場がお台場のヒルトンホテルです。
最近は、そういう世界には、どうも違和感が強くなってきています。
気は重いですが、小宮山さんにはお世話になっているので、顔を出そうと思います。
もしかしたら、会いたかった人に会えるかもしれません。

でもまあ、現世での交流世界は、そろそろ閉じだしたほうがいいのかもしれません。
とりわけヒルトンに集まるような人との縁は、補足していこうと思っています。
小宮山さんには内緒ですが。

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