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2016/02/20

■節子への挽歌3085:四天王像の怪

節子
今日はずっと雨でした。
時評編に書きましたが、一昨日訪問した四天王寺の四天王像の配置がどうも気になって、自宅にあるいろんな本を探し続けていました。
私の記憶を肯定してくれるものは一切見つかりませんでした。
四天王寺には、以前も一人で行ったので、節子は知らないはずです。
しかし、節子には、その驚きを話したかもしれません。
それが確かめられないのが残念です。

未来は変えられるが過去は変えられないという人がいます。
そんなことはありません。
未来も過去も、たぶん変えられるでしょう。
いずれも私の脳のなかにしかないことだからです。

ところが最近、どうも私の記憶が事実無根ではないかと思うようなことが時々起るのです。
同時に、どこまでが夢でどこまでが夢でないのかも混乱します。
例えば、鮮明な記憶に残っている夢があります。
彼岸行の電車の駅で、なぜか大勢の人が下りてくるのを見た夢の記憶がそのひとつです。
ところが、この夢は実は昨日見た夢かもしれません。
いや、私の記憶の中にあるすべての夢が、昨日見た夢なのかもしれません。
私以外の人に話したり、書きものとして残したものがあれば、その夢は昨日より前に見たことは確かですが、そうでない夢はすべて昨日見たのかもしれません。
いや、私の記憶にある過去はすべて、昨日、見た夢かもしれないのです。
最近、そう思うことが増えてきました。

さて四天王寺の須弥壇の配置ですが、実はこれは四天王寺に訪問する気になった日に見た夢かもしれないのです。
事実はそうではないことは間違いありませんが、そう考えれば論理的に解決できます。
どう考えても、須弥壇で四天王像が横一列に並んでいるはずはないでしょう。

1日中、四天王像のことばかり考えていたら、頭が混乱してしまったようです。
しかし不思議です。
その混乱の中で、せっかく四天王寺に行ったのに、本尊の救世観音をあまり拝んでこなかったことに気づきました。
さらに言えば、中門の仁王像も見てきませんでした。
さて、このことはもう忘れて、明日はまた現世で生きようと思います。

今日は寒い1日でした。

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