■節子への挽歌3090:暇で暇で仕方がない
節子
今日も寒いです。
朝からいろんなことがありました。
少しずつですが、ようやく今年もいい方向に動き出した気がします。
まわりが元気になると私も元気になっていけそうです。
それにしても、最近はみんな忙しそうです。
私の体験では、忙しい時ほど、何もしていない。
こんなことを言うと、叱られそうですが、そんな気がしてなりません。
何もすることがなくて暇なこともあれば、忙しすぎて暇なこともある。
私のこの考えは、なかなかほかの人にはわかってもらえませんが、私はいつも気分的には「暇で暇で仕方がない」のです。
だからと言って、時間が余っているわけではありません。
むしろ時間はもう少し欲しいのですが、大切なことや充実感があることが見つけられずにいるのです。
趣味に没頭できればいいのですが、趣味の世界もいまは全くありません。
社会的に役立つことに熱中できれば、それも幸せです。
しかし、そもそも最近は、私には「社会」が見えなくなってきてしまっています。
心身を忘れるほどに熱中できるものが見つけられないでいます。
何かに没頭できないというのは、退屈な生き方です。
忙しさと没頭は、これもまったく逆の概念でしょう。
うまく言えませんが、ともかく私はいま、人生に退屈していると言うべきでしょうか。
ともかく「暇で暇で仕方がない」。
大切だと思えることがないのです。
節子がいなくなって、これが一番の変化です。
どうやってここから抜け出せるか。
でも、少しずつちょっと先が見えてきたような気がします。
そろそろ暇な生き方からは抜け出たいものです。
今日も数名の人たちに会います。
私の生き方を変えてくれる人に出会えるでしょうか。
出会えるといいのですが。
そろそろ出かけます。
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