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2016/02/20

■司法における非対称構造

先日、大学時代の同窓生の大川真郎弁護士のオフィスを訪問しました。
大川さんは、昨年、「裁判に尊厳を懸ける」という本を出版しましたが、その内容に感動して、湯島のサロンでお話をしてもらったのです。
参加者には事前に読んできてもらいたかったのですが、読んできてくれたのは半分でした。
最近は本を読む人が減りました。
この感動的な本も、なんと2500部しか出版されず、増刷はなかったそうです。
司法界の人口を考えると、信じがたい話です。
もしまだ読んでいない人がいたら、ぜひ購入してください。
もし弁護士に仕事を頼む際には、この書籍を読んでいるかどうかを確認してください。

大川さんは司法改革にも取り組んだ人です。
大川さんたちの努力にもかかわらず、日本の司法は独立性を失い、劣化しているような気がしています。
さらに私自身は、司法の持つ意味を真剣に考えている人が少ないような気もしています。
大川さんの本を読ませてもらったり、大川さんのお話を聞いたりしているうちに、私自身も含めて、それに気づきました。
そんなこともあって、大阪の大川さんを訪問させてもったのです。

いろいろと示唆に富む話を聞けたのですが、それはそれとして、ハッと気づいたことがあります。
それは、裁判制度を構成している、検事と弁護士の立場の非対称性です。
検事は組織に属していますので、収入は保証されています。
それに対して、弁護士(組織の属している弁護士は別として)は基本的には個人事業ですから、自分で仕事を創りだし働かなければ収入は得られません。
裁判で敗訴すれば、報酬も得られないわけです。
つまり、組織人と個人という、まったく違った立場なのです。
このことのおかしさに、私は気づかずにいました。
もうみんな知っていることかもしれませんが、その意味がきちんと考えられているとは思えません。
言うまでもなく、裁判官もまた国家に所属していますので、収入は保証され、生活も保障されています。
裁判の両輪とも言うべき、弁護士と検事が、こうした非対称の立場に置かれていることは、裁判にどう影響するでしょうか。
アメリカが訴訟社会になった理由も、そこにあるのかもしれません。
まさに「近代産業のジレンマ」の典型的な事例です。

いうまでもありませんが、その所属の故に、検事や裁判官は、国家統治の視点で考えますが、弁護士は依頼人の視点で考えます。
ここでも非対称は発生していますが、それはむしろ当然のことです。
しかし、本人の生活保障という面での非対称は、やはり仕組みとしておかしいように思います。
ではどうしたらいいか。
答はそう簡単ではないかもしれませんが、私たち一人ひとりの生活者が、弁護士という職業の意味をしっかりと理解しすることが、まずは大事です。
また大川さんに頼んで、湯島でサロンをしてもらいたくなりました。

みなさん
もしまだお読みでないとしたら、大川さんの「裁判に尊厳を懸ける」を読んでもらえれば、とてもうれしいです。
さらに感想を送ってくださった方には、いつでも珈琲をご馳走します。
私のホームページでは、大川さんの書籍も何冊か紹介しています。
今度のホームページ更新の際に、大川さんコーナーを創ることにしました。
すべて感動的な書籍です。
大川さんの人柄が伝わってきます。

http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#150719
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