■節子への挽歌3086:人はみな「財産家」
節子
鈴木さんが、エマーソンのこんな言葉を教えてくれました。
「先行き知れぬ人生航路にあって、何よりも心強い支えとなるのは、 人と人の結びつきではないでしょうか。 互いに相手をいたわり合う気持ちこそ、 何にもかえがたい心の財産ではないでしょうか」
鈴木さんは、「人と結びつくこと」「相手をいたわる気持ちを持つこと」がそのまま「支え合う」ことにつながるのかもしれないと書いてきました。
「人と結びつくこと」と「相手をいたわる気持ちを持つこと」とは、私は同じことだと思いますが、それは同時にまた、「支え合うこと」でもあるわけです。
私にとっては、それを無条件に保証してくれた節子は「何よりも心強い支え」だったわけです。
ですから、それがいなくなった後は、支えがなくなったようになってしまったわけです。
それで、いささか頼りない数年を過ごしてしまいました。
最近、「支えがなくなる」には2つの意味があることを実感しています。
「支えてくれる存在」がいなくなるということと「支えるべき存在」がいなくなるという意味です。
どちらがより大きなダメッジかと言えば、もしかしたら後者かも知れないというのが最近の思いです。
人は「支えられる存在」ではなく「支える存在」なのかもしれません。
節子がいなくなって8年半。
ようやく最近は自立感が実感できるようになってきました。
鈴木さんはこう書いてきてくれました。
佐藤さんはお金という財産をあまり持たない(???)半面、 エマーソンのいう心の財産には恵まれているのだろうなあ、と思っています。
そうなのです。
私は財産家なのです。
でも本当はみんな財産家になれるはずなのです。
「支える存在」になればいいだけだからです。
節子がいた頃よりも、私の財産は増えたかもしれません。
もう大丈夫でしょう。
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