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2016/02/29

■節子への挽歌3096:声の相性

節子
あっという間に2月も終わりです。
今年は少し前を向いて生きようと思っていたのですが、年初からいろいろあって、出足をくじかれてしまい、結果的に時間に追い立てられるように過ごしています。
かといって、何かをやっているわけでもなく、ただ精神的な余裕がないだけなのです。
体勢を立て直そうと思うと、そこでまた新しい問題が飛び込んでくる。
それも気が萎えるようなことが少なくありません。
そして気がついたらもう2月も終わりです。

今日はいささかめげていたので、録画していた「日本仏教のあゆみ」の最終回を見なおしました。
内容が問題なのではありません。
もうこの番組は見ていますから。
このシリーズは、東洋大学学長の竹村牧男さんが解説してくれているのですが、竹村さんの話しぶりが、とても気持ちを和らげ、元気をもたらしてくれるのです。
私は竹村さんとは全く面識もありませんし、どんな人かも知りません。
しかし、その表情や話し方、そしてその声が、ともかく心を平安にしてくれるのです。

なぜそんなことを思いついたかと言えば、実は一昨日のフォーラムに参加してくれていた、澤内隆さんという人から、私の声がとても癒される声だとしつこいくらい言われたのです。
初対面の人ですが、とても不思議な人で、その話には圧倒されたのですが、なぜか私の声が気にいり、隣にいた若い人にまで、同意を強制していました。
その時に、人の声の相性というのがあるのだと気づきました。
澤内さんには、きっと私の声が合ったのでしょう。
相性の問題だとしたら、私の声が耳障りの人もきっといるわけですが。

私は、節子の声が好きでした。
節子はコーラスグループに入っていましたが、私から言えば、ちょっと音痴でしたし、歌の時の声は必ずしもきれいではありませんでした。
しかし、普段話す声は、私は大好きでした。
そして、節子も私の声が好きでした。
いまから思えば、私たちの声の相性はとてもよかったと思います。
だからふたりで話し合っているだけで、気持ちが和み、幸せだったのです。
「声の相性」はとても大切なのだと、気づきました。
しかし、その「心を和ませてくれる声」を聴くことは、私にはもうないのです。
声だけは、誰も変わりをしてくれません。
節子がいなくなってからの不調は、あの声が聞けないからかもしれません。

そういえば、もう20年近く前ですが、「生きがいの創造」の著者の飯田史彦さんからも同じようなことを言われたことがあります。
飯田さんはどうされているでしょうか。
飯田さんとも会いたくなってきました。

いろんな人に会いたくなるということは、そろそろ時期が近づいてきたということでしょうか。
まあ、それも良しですが、3年ほど待ってほしいという気もします。
折角、新しいことをやろうという気になってきているのですから。
でもまあ、節子の時のことを思えば、生命を司る神様は、そんな事情など斟酌してくれないようです。
困ったものです。

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