■節子への挽歌3071:問題を乗り越えるために問題を創り出す
節子
先日、突然、ある若い女性から電話がありました。
いまも自殺予防の集まりをやっていますか、という電話でした。
3年前にあるところに相談に行ったところ、その相談員が途中で私に電話したのを覚えていたのだそうです。
記憶が呼び戻せなかったのですが、問題にぶつかっている人は、そうしたちょっとしたこともきちんと覚えているのだと、改めて気をひきしめました。
誰かの相談に乗るということは、そういうことなのです。
ある集まりで、相談に乗る時には、自分でできないこととできることを整理して、できないことは引き受けてはいけないと言われました。
私も誰かに対しては、同じようなことを言ったことがあるかもしれません。
しかし、実際に相談に乗っていくと、そんなことなど言ってはいられないのです。
そんなことを考えていたら、相手には信頼してもらえないですし、信頼してもらえなければ相談に乗れるはずもありません。
相談に来ている人は、ともかく感覚が鋭くなっているのです。
相談の基本には、「利己」ではなく「利他」を置かねばいけません。
しかし、それを続けていると、自分がずたずたになることもあります。
私の場合、それを救ってくれていたのが節子でしたが、節子がいなくなってからは、時々、メンタルダウンしてしまいます。
いまはその状況かもしれません。
その方が、なぜ私に電話してきたのかわかりませんが、自分も自殺防止に関わる活動を始めたいようです。
ちょっと遠方なのですが、一度、お会いすることになりました。
これは推測ですが、たぶんかつて私の友人に相談したことを乗り越えようと新しい活動を始めようとしているのでしょう。
自らの問題を乗り越えるためには、新しい課題を創り出すのは、一つの方法です。
それは、「利己」から「利他」へと基本を変えることであり、実はそこから新しい「利己」に気づけるのです。
他者のためはまさに自らのためなのです。
そこに気づくと世界は変わってきます。
何ができるかわかりませんが、相談に乗ろうと思います。
湯島にはいろんな人が集まります。
はっきりとは言いませんが、重荷を背負っている人も少なくありません。
重荷を背負えばこそ、なにか誰かの重荷を軽くしてやりたいという気持ちがどこかで現れてくるのではないかと思います。
実は最近、そんなことをいろいろと体験しています。
ほかの人のことなので、あまりここには書けませんが、重荷を少しでもシェアできることができればうれしいです。
重荷を背負っているのは、自分だけではないのです。
少し前向きになれてきたのかもしれません。
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